ウイーン
コピーからスタートしている。セルもそうだが、私たちのやっていることと言えば大抵コピーだろう。パクリもあ
る。そうして、いつか突然変異がある。元々その因子を私たちは育てている。無駄と思われているものが
遂に役割をはたすのは、いつかわからない。役割は来ないかも知れない。只管、コピーを繰り返してい
る。歳月も同じだ。地球は46億年の時を刻んでいる。ビッグバンから140億年過ぎた。そして、生命
が誕生して30数億年近くコピーを続けて、多細胞となり「ヒトという種」として私たちがいる。元は皆黒人
の祖先である。コペルニクスやダーウィンは、科学的真実を指摘したに過ぎない。ひとは知らないのでは
ない。知りながら今なお宗教戦争を続けている。愚かなのは、過去ばかりではないだろう。
思えば、人の一生もコピーからスタートしているが、皆同じ人生ではない。少しの違いが夫々の個性に
なり違う一生を終える。春が来て夏になり秋が過ぎて冬となる。朝がきて昼になり夕方が過ぎて夜にな
る。人は誕生して、成長し生殖し、移動して死ぬ。人間には、まだ為さねばならない命題があるのでは
なかろうか。それさえ判らないでいるように思える。肉体の苦痛は、時が過ぎれば消える。そうできている
のだから、生物は炭素でできている、自然に還れば消えてしまう。私が今遣っていることと言えば、図書
館で先人のコピーをしている。それだけだ。それが生甲斐でもある。
肩の力を抜いて、一日を過ごしたいと思っている。