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和白干潟のミヤコドリ 「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ったしまったのか。みんな不思議に思った。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶる体をふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。・・・だが、いまはもう音ひとつしない。野原、森、沼地・・・みな黙りこくっていた。」(「沈黙の春」より) 単なる寓話が、真実を語ることもある。人間の優れた形質は、予見することにある。これらは、魔法にかけられたのでも、悪魔に襲われたのでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だった。 いまや、温暖化の齎す影響は世界中のどこにも見られる現象であるが、それに対して明確な認識をもち、危機感をもっているものが政治を動かしているのではない。その一見ゆるやかにすすんでいるように見えるが、ある限界を超えると大きな衝撃となって押し寄せるだろう。「ポイント・オブ・ノーリターン」が。 「警告」が、いつか「現実」になる。私たちはまだ、あの「渚にて」のまま佇みつづけている。 いつも想定外がある。どんなに安全だという担保も根底から崩れることがある。それこそ薄氷の上にいるのは皆同じだ。安心しようと努力しても来るときは必ず来る。新幹線だって、いつ事故になるかわかりはしない。安心しようと思いたいだけでしかない。命もこれまでとは違う明日がある。どんなに覚悟していてもその時になれば、人間は何をするか分からないのだ。潜在的にあるものは誰にも見えないし、自分自身も、潜在意識は分からない。 警告がいつか現実になるのだ。それをひとは本気にできないだけなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.06.04 05:23:14
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