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カテゴリ:映画・ビデオ・テレビ
井筒という監督の作品は、暴力的、くさいまでの底辺・不良模写、そしてテレビなどで観る人物的にも、他を受け入れようとしない偏狭さを感じざるを得ず、基本的には興味の対象外で、金を出してまでその作品を見ることは無い。
代表作かもしれない「岸和田少年愚連隊」も「ゲロッパ」もテレビで観ただけ。 そして昨日も「パッチギ」をテレビでたまたま観た。 そもそも、「パッチギ」ってなんだろうと思ってみたのだが、ちょっと観進めるとすぐに思い当たることがあった。 関東圏に住んでいると中々わかりにくいかもしれないが、この映画で描かれていることは関西で生まれ育ったものにとっては比較的、なじみのあることなのだ。 つまり、朝鮮学校の生徒に関わるな、何かしたら集団で仕返しに来られるぞ、、 といったいわば風説。(だから日本で朝鮮関連の問題が起きたとき、朝鮮学校の生徒が嫌がらせを受けた、と総連が発表することがよくあるが、わかっている人には怖くて出来ないことなのだ。) 「パッチギ」とはすなわち頭突きのことで、我々の地方・時代では「パチキ」といっていたものであることも思い出した。(「剃り込み」のこともパチキといったと思う) この映画の描こうとすることは日韓(特に在日)がお互いに理解しようというものだとは信じたいが、その描き方が、日本人は過去に行った(であろう)ことを理解し、反省し、(直接関係の無い今の若者も)謝罪せよ、という例の朝鮮のパターンそのものなのが気になる。 「紙切れ一枚で連れてこられた」「生駒トンネルは誰が作ったか知っているか」「国会議事堂の大理石は誰が切り出して積んだのかしってるか」 といったセリフ。 井筒そのものが、どれだけ朝鮮と関係があるのかは知らないが、少なくとも製作は朝鮮総連と縁が無いとはいえない在日系の製作会社だし、プロデューサーはその社長。 特に、過去の映画撮影中に、滝壺に手を縛って俳優を入れるという演出により、その俳優が死亡し、製作会社も倒産し監督生命がたたれようとしていたときに手を差し伸べたとされるのがこの製作会社というのだから、しょうがない。 いづれにせよ、後ろ向きでない、前向きの解決が必要だろうが、すでに長きに渡って日本を生活基盤にし、パチンコやサラ金など、おいしい利権だけはこの国で確保しつつ、それでいてあえて日本国籍を取得しない上に、選挙権まで求める。こういう実態の裏には何かがあることを理解すべきだろう。 またつまらんことを書いてしまった。 仕事上も友人的にも朝鮮・韓国の人の知り合いは多いほうで、個人的には結構いい人ばかりなのだけど、国・組織が日本を扱うときに見せる集団の怖さは嫌いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/05/19 11:39:29 PM
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