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コーチ賢ちゃんの「コーチング談義」

コーチ賢ちゃんの「コーチング談義」

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2012年07月11日
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カテゴリ:夢の実現

2012 台風一過4.jpg

                           梅雨に映える紫陽花



 「ひすい こうたろう氏」と「白駒妃登美氏」の共著、『人生に悩んだら「日本史」に聞こう』で、もうひとつ賢ちゃんが、大きく共感を覚えたところがありましたので、紹介させて頂きます。

 それは「50歳のデビュー」と見出しの付けられた伊能忠敬(いのうただたか)について書かれた箇所です。

 伊能忠敬は、江戸時代に徒歩で日本列島を縦断して、日本で最初に実測地図をつくった人物です。

 この箇所の最後で、白駒さんは次のように締めくくっておられます。

---

『夜になると、野原で星空を見上げていた伊能忠敬。
 50歳になっても夢をあきらめていなかった伊能忠敬。
 55歳から17年間、一歩一歩踏み出し続け、地球1周分を歩きねいた伊能忠敬。

 考えてみると、忠敬の人生は、夢に向かって一直線に突き進んだのではないのです。いや、それどころか、夢とはなんの関係もない、婿入りした先の酒屋の仕事に一直線に突き進んだ人生でした。

 自分を取り巻く環境を受け入れ、そのときにできることを精いっぱいやり続けた。伊能家の当主として家族を大切にし、商人として、お客様を大切にした。忠敬は、直接売り上げに関係がなくても、お客様のためにできることがあればやってあげたといいます。天明の大飢饉では、私財をなげうって地域の人々を助けました。

 そんな忠敬だったからこそ、夢であった天体観測を超えて、夢にすら描いていなかった、『大日本沿海輿地全図』の完成という歴史的大偉業へ運ばれたのだと思うのです。

 夢に生きるとは、やりたいことだけやることではないのです。
 夢に生きるとは、好きなことだけやることではないのです。
 夢に生きるとは、目の前のことをすべて受け入れ、そのときにできる小さな一歩を踏み出し続けること。
 夢に生きるとは、大切な人たちを、ちゃんと大切にすること。


 チャンスはいつだって、いま、目の前にあるということです。

 そして忠敬が大切にしたのは、家族やお客様ばかりではありません。忠敬は、第一回の測量に出かける際に、「隠居の慰みとは申しながら、後世の参考ともなるべき地図をつくりたい」という手紙を幕府に宛てて出しています。つまり、後世の日本人のこと、私たちのことも大切に思ってくれていたのです』

---

 「自分が与えられた環境の中で自分の使命を果たしつつ、未来に希望を持って努力し続けていると、新たなステージが開き、次第に夢に近づいていく」ということを、伊能忠敬の例をもって、彼女が示してくれているのだと賢ちゃんは受け止めました。

 「自分がやりたいことだけをやる」のであれば、それは「わがまま勝手」以外の何物でもありませんよね。

 「与えたものが与えられる」という原理原則(義務先行の原理)に則れば、「自分の大切にしたいことを大切にしながら、周りの大切な人達の大切にしたいことも大切にしていく」結果として、自分の夢の実現を周りから支援してもらえるようになる、と言えましょう。

 賢ちゃんのが、「幸せ配達人になる」という「人生の目的」を果たすために、「コーチになる」という「目標」を設定した時、賢ちゃんはコーチだけをしていられる環境ではありませんでした。

 息子として父の大切にしたいことを大切にし、夫として妻の大切にしたいことも大切にし、父親として息子たちの大切にしたいことも大切にし、さらに私が所属する組織(サークル)における自分の使命も果たしながら、自分の夢を実現すには、どうしたらいいかを常に模索し続けて来ました。

 そこで、『自分にも、相手にも、第三者にも善い、いわゆる「三方善し」になるような方法を見付ける努力が必要である』ことを、総合人間学「モラロジー」で学んでいたことは幸いでした。

 この続きは後日に譲ります。






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最終更新日  2012年07月13日 22時16分38秒
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