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カテゴリ:石灰工場時代
日本石灰協会ホームページの宮沢賢治の連載記事第2回です。
http://www.jplime.com/bunkaisan/002/index.html ここでは、石灰工場の経営者である鈴木東蔵と宮沢賢治の出会いが、東蔵の長男の著書も引用しながら記されています。 (引用開始) さて宮澤賢治と東山町との関わりは、昭和4年に始まります。 「そのころ花巻の渡嘉肥料店から前年2車の注文がありましたが、昭和4年には一車の注文もなく、東蔵が花巻に出向いてその事情を尋ねると、宮澤賢治という方がいてこれまで肥料設計の世話をしていたのだが、今病気で休んでいるため注文がなくなったと知りました。」(東蔵長男 鈴木實著「宮澤賢治と東山」) (引用終了) また、賢治の弟の宮沢清六氏の著書「兄のトランク」から引用しながら、賢治と東蔵が理想を共有し現実を解決しようと親交を深めていく様子が記されています。 賢治の石灰に関する教材用絵図がカラーで掲載されているところも農業技術者、農業教育者としての賢治を知る上で貴重です。 ![]() こののち、さらに商家生まれらしい、賢治の実業人的側面についても触れられており、興味深いところです。 賢治の石灰工場勤務時代と賢治の理想と現実を考える上で貴重な資料となる「貴工場への献策」についても参考となります。 また、東蔵あての賢治の手紙が時系列で整理されているところは、両者の関係について理解を深める上で助けとなります。 #宮沢賢治 #石灰 #鈴木東蔵 #東北砕石工場 #宮沢清六 #教材用絵図 #書簡 #貴工場への献策 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.30 21:04:35
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