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湯立人鉱泉へは猿橋から元来た道を戻って約15分。
昔写真を撮ったバス停にある看板も健在でした(笑) 来るのは2年振り。 変わらず、毎週土曜・日曜の昼からのみ営業。 ここ数年、それまでひいきにしていた宿が次々と廃業するような傾向があったので、改めてホットする。 都留の城山温泉、下部温泉・湯元大家、柴原鉱泉・菅沼館、、などが次々と倒れていってしまった‥。 変わらずお元気な女将さんにまだ一人もいない広間へ通され、 (当然‥笑)今日の一番新しい「湯」にゆっくり沈む。 微かに白濁した湯と、古いながらもよく掃除のゆき届いた浴室も健在。 恐らく、営業日の前日くらいから念入りに手入れをするんだろうな。 なにせ、女将さん一人である。 湯は湧出口の横にカップが置いてあり、飲むこともできる。 微かな甘さを含んでおり、胃腸によいらしいので「呑む前に飲む」といい、と言うことになる(笑) 湯上りにお決まりのビールを頼むと、ほぼ必ず自家製の何かをサービスで出してくれるが、今日ははたして? 「黄色いトマト」であった。 横の畑で採れたものだそうだ。で、女将さん曰く 「皮が薄いから、この色になってからは日持ちがせず、食べ頃の期間が短いんですよ‥」 とのこと。 なるほど、しかし、表面が柔らかく程よい酸味で美味い! 女将さんとのおしゃべりの中で、面白い話をひとつ。 桂川を挟んで、この宿の南側に「高畑山」と言う山があり、自分も一度登ったことがある。 この山は言い伝えでは、昔「高畑仙人」と言う仙人が住みついていたそうだ。 これは、高畑山を語る文献では必ず出てくるので自分も知っていたが、実在していたかどうかは、、(?)と言う感じであった。 しかし、なんと女将さんの話では、女将さん本人が女学生の頃は実在していた、と言うか、当時この山に遊びに行った時に、しょっちゅう会っていたそうである。 想像するに、その頃は恐らく戦後、徐々に日本が立ち直り始め、高度経済成長期に入る少し前の頃くらいかな? 仙人さんは、当時は周辺の人達の“人気者”だったそうである(笑) 微笑ましい話である。 そして、その頃はこの宿の先代の方が、江戸時代から続くこの鉱泉宿をバリバリ切り盛りしていたんだろうな。 湯立人鉱泉の広間から見た高畑山 その他、いろいろ興味深い話も聞けるなどしながら、この「ゆったりした時間」は過ぎていった。 自分の後に来たお客さんは、百蔵山に登ってきた帰りの年配の女性二人組と、地元の常連のおばあさんが二人。 どちらも女将さんとは顔見知りのようで、同じような楽しい会話がはずんでいた。 夕暮れ時となり、そろそろ帰る時刻となりました。 女将さんには、 「これからも益々頑張って欲しい‥!」 旨を伝え、この素晴らしい“歴史的な鉱泉宿”を後にしました。 次はいつこようかな‥(笑) 宿の前にある「源泉場所」 夕暮れ時の百蔵山と扇山(猿橋駅入り口より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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