喜文治の「自分のあやし方」

2022/04/10(日)04:39

「 敵は煩悩に非ず 」

もし  自分が  お浄土を  目指すなら この世に  生きている内に  お浄土に  相応しい  魂になって おく必要が  あると思うの それは  一切の  煩悩を払い  無垢な魂と  言う事じゃなく 衆生の為に  尽くし  切ると言う  覚悟でしょう この世で  言うならば  自分を顧みず  人様に  尽くすと  言う事かな 他人様の  喜びが  自分の  喜びと  素直に  受け止めれる   魂でしょう お浄土とは  自分の事に  あくせくせず  過ごせると  したら 未だ  六道を  輪廻する  お仲間だった  衆生の為に 祈り  願い  救い  助け  一人でも  多くの方々を お浄土へと  導く  お手伝いと言うか  役割を担う  魂となって 働かせて  貰う事に  なると  思うの じゃ  この身に  こびりついた  煩悩は  どう片付けるかと  言うと 自分で  始末する  必要は  無いの   放って  置けば  この身を  脱いで  お浄土へ  向かう時 肉体と共に  煩悩は  この世で  消えて行くの それまで  心心と  五月蠅かった  心は  元の魂に  戻り 霧なのか  光なのか  水晶珠の様な  珠になって  お浄土へ  向かうと 思うの だから  座禅を組み  滝に打たれ  山々を  歩き回る  必要は無いの 比叡山の  阿闍梨さんで  二回も  艱難辛苦の  千日回峰を された方が  おられましたが 一度達成したら  生き仏様になると  言われて  いましたが  一度  達成したにも  関わらっず  佛の心境には  なれず 何か  間違いや  思い違いを  したのではと  不安になり 核心を求めて  命懸けの  2回目の  千日回峰を  試みられたのでは ないだろうか 聞く処によると  同じく  昔  叡山で  修行された  親鸞さんが 大曼の行と言う  千日回峰以上の  修行をされ  叡山の麒麟児とまで 言われて  いたにも  関わらず 20年に  及ぶ修行で  心から一向に  煩悩を消せず 諦めて  29歳で  下山され  後に  京都で  法然さんと  縁を持ち やっと  救われたと  安堵され  喜ばれたそうです 人間塾 自分のあやし方 千日回峰の道順を、みんなで歩く会があるそうで、一日がかりで大変だそうです。 それを深夜に出て、朝には庵に戻ると言う駆け足三昧、オイラには無理だぁ~。 それでも煩悩は消滅せず、佛には成れないと言う、事なんでしょうねぇ~?    

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