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テーマ:占い・心理研究日記(1154)
カテゴリ:手相人相
日本とシンガポールを年に何回も往復していますと、面白いことに気が付きます。
それは、人種によって“美醜感覚”が大いに違うのでは?と言う点です。 それでも、世界中の多くの人は、美人やハンサムに憧れます。 でも、考えてみれば、美人顔やハンサム顔とは、どんな顔を言うのでしょうか? 一般論として、世界的に“美人やハンサム”と言う場合、「顔のパーツの形やその配列が、バランス良く取れた顔を良し」とする固定概念があるのではないでしょうか。 という事は、“美人”とは、人相を構成する各パーツの大きさや位置が、バランスが取れている顔の持ち主ということになる訳です。 もっと突き詰めれば、美人やハンサムとは、多くの人にとっての「平均顔」であり、それ故に、潜在的に反感が持たれにくいということかも知れません。 例として、「おしゃべり」な人とその対局である「無口」な人とは、一般的には相互に理解しづらい関係ではないでしょうか。 現に、上唇のとても厚い人(概しておしゃべり?)と、とても薄い人(概して無口)とでは、なかなか理解し合えないのです。 「無口」な人は、「おしゃべり」の人を「口先だけで実行力のない人」と評価し、逆におしゃべりの人は無口の人のことを「何を考えているのか分からない陰気な人」と断定しがちです。 では、その中間的な人はどうでしょうか? 時にはおしゃべりになり、時には無口になるという“中間の人”は、その唇が厚からず薄からずですから、両極端の人たちからも“理解しやすい人”と思われるでしょう。 このように、上唇だけでなく、顔のすべてのパーツについて平均的な人は、一般の人たちから好感が持たれやすく、強い反感を持つ人は少ないことから、誰からも否定されない印象を与えます。 結論として、美人やハンサムというのは、各パーツが極端でないために、より多くの人たちから“反感”を買うことは少ないでしょう。 そして、より多くの人たちから愛され、好感を持たれやすく、あこがれの的となり、映画やテレビの主役に抜擢されたり、ファッション雑誌のモデルとして活躍するチャンスにも恵まれることになるかも知れません。 では、人は、美人やハンサムに生まれなかったとしたら、不運で不幸な人生しか送れないのでしょうか? その答えは、学生時代に憧れだった美人やハンサムたちのことを思い出して見るとわかります。 数十年振りの同窓会で再会してみたら、憧れた人たちが、なんだかつまらない人相になっていたり、とても昔のオーラを発していない!とがっかりした経験をお持ちの人も多いのではないでしょうか? 何故このような事になるのでしょうか? それは、美人さんやハンサムさんは、個性的でユニークな人生を送りにくい顔立ちをしているからに他ならないからです。 “バランスが取れた顔”とは、どうしても小さくまとまった人生で終えてしまうことになるのです。 それは、自分に与えられたユニークな個性とは何なのか?が、分かりづらいからなのです。 自分らしい個性を見つけられずに、他人のあこがれの的でいる事に終始してしまう人生は、とてもつまらなく、不幸なことではないでしょうか? ユニークな顔の人は、とてもユニークな人生を送ります。 そのユニークさの故に、後世に偉大な業績を残すことになります。 また、ユニークさ故に、人々の反発を買い、社会的に奇人変人扱いにされたり、さまざまな蹉跌や軋轢を経験することになりますが、それがかえって自分の個性に磨きをかけることとなり、だれもまねのできない、素晴らしく個性豊かな人生を送ることにもなるのです。 偉業を成した実業家・政治家・科学者・芸術家・宗教家等には、いわゆる“美人やハンサム”がほとんどいない事を見ても明らかです。 ユニークな顔とは、「ブス顔」ではなく、ユニークで自分らしい個性的な人生を謳歌して生きることができる才能を、天から授かったと考えるべきではないでしょうか。 “〆‘(ェ)’*) サササッ 小熊Q太朗 でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.10.16 10:10:21
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