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16~20

16.
slipware!!!SLIPWARE!!!!!すりっぷうぇあ!!!!!!!スリップウェア!!!!!!!!!!!!

イギリスのスリップウェア出ました!
しかも売り物なんだぜ!!!
とあるところに2点、さらに1点とあるお方が手放すという情報がっ!
(07.5.17)


17.
 スリップウェアというやきものについてさんざん書いてきましたがここで改めて今一度そのスリップウェアという名称について簡単にまとめておく必要があると気付いたのです。むろんslipwareという呼称の内容は言うまでもなくこの言葉を生み出した人たち、つまりはイギリス人によって概念規定されているはずですが一般の人にとってはslipwareという言葉はこのやきもの自体がそれほど馴染みのない過ぎた時代のものであるためかあまりピンとくるものではないとのことです。実際にイギリスで沢山のスリップウェアを探し出された道具屋さんの坂田和實さんはイギリス人でさえslipwareと言葉にした場合には発音の同じslipwearととる人が多いとおっしゃっています。それはそれとして、しかしながらやはりイギリス人の定義を第一義に尊重しなければなりませんが、スリップウェアに打たれてそれに深入りしているやきものの専門家としては自分なりのスリップウェア観があるのもまた事実です。だからぼく自身がここであるいはどこかで誰かにスリップウェアの話をする時には多少幅のあるもしくは場合によってはより絞り込んだ捉え方をしている場合があるかもしれないことは断っておかねばなりません。
 また同じ英語圏でもアメリカの人たちは自分たちの国で作られたスリップウェアについてslipwareという呼称を使う場合は少ないようでしばしばslip decorated red ware(泥で装飾された赤っぽい器)と表現しています。ドイツ、フランス、スペイン、ルーマニア、オランダなどそしてさらにおそらく他の国々にもスリップウェアと呼びたい同種のやきものがあるのですが、こういうやきものは何もイギリスが発祥という訳ではないのでやはりそれぞれの言葉で呼ばれているのではないかと想像しています。余談になりますが日本にも昔からその受ける印象と技法の上でやはりスリップウェアと呼んで差し支えのないやきものはあるのですが、あえてこれらを外国語の名称を用いて呼ぶ必要は無いとは思っています。しかし同時にこれらについてもまたいつかここで触れてみたいとは考えています。
 それはさておき、欧米の残念ながらスリップウェアについてはぼく自身もその全体像は未だ掴めないでいるし、見聞や知識も非常に断片的であるのはどうしようもないことです。少しづつ資料は集めてはいるものの英語を読むことさえ自分には荷が重く骨の折れることで、さらに英語以外だともう全くどうにもならないものですから不勉強なことですが現在欧米の研究がどのくらい進んでいるのかも把握していません。
 日本人によってスリップウェアが認められ、ついには実物が持ち込まれるに至った経緯はすでに記したとおりですが、この鮮やかな印象の思い掛けないやきものについて柳宗悦も濱田庄司も河井寛次郎も当初はスリツプ・ウエアという表記を残しています。これは原本をぼく自身未確認なので想像でしか言い得ませんがおそらくはあのLomaxの『Quaint Old English Pottery』がSlip Wareという表記を用いているためではないでしょうか。なお、興味深いことに柳はやきものの技法を表す日本式の伝統的な「流描手」という名称をも用いており、また河井はルビとしてスリツプ・ウエアを振り仮名に添えて「化粧陶器」という呼称を使っています。やきものに使うslipすなはち泥漿のことを化粧土と呼ぶのは一般的なことなので化粧陶器というのはいわゆるスリップウェアばかりでなくより広義の意味に捉えたくはなるものの案外に即物的かつ直訳的な呼称であると思います。
 しかし今ではぼく自身にとってもそうですが、むしろスリツプ・ウエアというよりはスリップウェアという表記がより一般的になっているように思われます。このことについては先年にスリップウェア図録刊行会の出した決定版ともいえる図録『英国のスリップウェア』の凡例にも英国での一般的な表記はSlipwareであるからそれにしたがってスリップウェアを採択したと記されており、これからはこのやきもの自体の認知の高まりとともにスリップウェアの呼称と表記が日本でもよりいっそう定着するのではないかと思います。
(07.9.29)


18.


 スリップウェアスリップウェアと思い詰めて心を焦がしたのはイギリスの十八-十九世紀頃のスリップウェアのある特徴的な一連の作行きのものですが、実際は技術的な意味でスリップウェアと呼んで差し支えないだろうと思われるものは時代、産地、技法、様式それぞれの上で多岐にわたります。こういったものにも大変魅力的なものは多く、イギリスものが簡単には手に入らないということもあって何かいいものがあれば積極的に求めてきました。
 オランダのスリップウェアとして以前にひとつここで紹介したことがありますが、日本の代表的なスリップウェアの制作家であられる柴田雅章さんとアメリカのスリップウェアの話をしていた時にちょっと伺った話ではオランダのものもやはりアメリカと同じく下掛けはしていないとのことでした。その時は現物を見てもらった訳ではありませんがつまり柴田説からするとかたちを作った土の上に赤土の泥を掛けてさらに白い泥で紋様を描いているこれはオランダのものではないということになります。
 たしかに自分もこれは非常に疑問のあるものだと思っています。おそらくは轆轤で作っているようですがまるで型作りのような厚手の作行き。ぼくの知る限りオランダのものはもっと薄手でしばしば底は高台があるのですがこの鉢にはそれがありません。紋様表現の冴えた感じもオランダものとしてはやや異例のものです。あるいはヨーロッパの別の国のものかそれとももしかすれば日本で作られたものかという気がしなかった訳ではないのですが見れば見る程わからないと言うのが正直なところです。特に最初見た瞬間には関東大震災を機に帰国した濱田庄司が持ち帰ってきたイギリスのスリップウェアに大感激した河井寛次郎が取り組んだ昭和最初期の仕事ではないかと思いましたが、やはり土や色調などと共にこのとことん使い込まれた時代感から総合的に見て四分六くらいでオランダものと考えるのが一番自然な気がしたのです。しかし改めて考えれば三百数十年使い込まれたオランダの器よりは八十何年か使い込まれた京都の器と考えることのほうが現実味があるような気もするし、もっと見聞を広めればもう少し違う考えになるかもしれません。そういう訳で先にオランダとしましたがこの鉢の産地と時代問題はいったん棚上げせざるを得ません。ただ使い込まれたうつくしいスリップウェアとのみしておきたいと思います。

 さて今日の写真はこれこそ紛うこと無きオランダのスリップウェアです。十七~十九世紀頃にかけて長い間似たようなデザインのものが作られたようですが、これは十七世紀とのことでオランダから送ってもらったものです。彼の地での用途は知りませんがこの小さなハンドルは持ちやすいものではなくもしかしたら指を入れて持つためというよりは紐でも付けて吊るすためのものではないかとも思います。外に波紋、内はマーブル紋ですが確かにこれは先の柴田説を裏付けるように下掛けに別の泥を使っていないように見えます。しかし内側のマーブル紋様がちょっと問題でこれがはたして本当に下掛けなしで出来るのかどうか、それとも轆轤した時にでる手泥でも薄く溶いて共土を使ったりあるいは水でも使えば出来るのだろうか、こんなことはやってみれば解決することなのでその内試してみます。
 写真では分かりにくいのですが壊れて貼り合わせ失われた部分はパテか何かで補完されているので実用には向きませんから残念ながらただ眺めて楽しんでいます。
(07.10.1)


19.
 真に求める者には与えられるというのは本当のことで、ちょっと必要があってイギリスの方とメールのやりとりをしている内にロンドン博物館(Museum of London)のホームページで陶片のことを調べているということを教わった。やはりイギリスのやきものに関心があるものとして有名な大英博物館(British Museum)のサイトは以前に少し覗いて見たことがあったのだが、迂闊なことにロンドン博物館のことは知らなかった。このサイトの中をクリックしながら進んでゆくと何と驚いたことにSlipwaresというページが準備されており、さらにこの中のStaffordshire typeという中にはいかにもぼく好みのものがいくつも紹介されているのです。そしてそれらの中には濱田庄司や柳宗悦たちが特に選びだしたあのタイプのものばかりではなく日本ではほとんど知られていないようなタイプのものもいくつもあるのです。こういう古いイギリスのやきものがそれが本国でもそれほどの高評価ではないだけに遠い日本で大変評価されて多くが日本に伝えられ大切にされているということはイギリス人にとって非常に不思議なことのような気がするのではないかと想像するのです。ともするとスリップウェアの大部分が日本にあるのではないかというような気になることさえあるのですがやはり日本に入っているのは一部のもので、無いとは言ってもさすがに現地には沢山あるなという気がしました。
 まだ十分目を通していないがスタッフォードシャーだけでも百点近くが写真付きで掲載されており、そしてそれ以外の項目も自分には大いに参考になるもので、ちょうど昨夜書いた多様なスリップウェアの諸相について知ることが出来るのです。なかなか資料がないと思いながら書いた内容について一日の間にこういうサイトをほんの偶然で知ることが出来たというのは何という不思議な縁でしょうか。さらにはもちろんスリップウェアばかりである訳は無く、中世陶器とかその後の時代の土物とか見たいと思いながらなかなか資料に恵まれなかったものがたくさん紹介されているのです。
 もちろん博物館のサイトなのですでに知っている人は知っていることとは思いますが、この喜びを未見の人に早く伝えたいと思ってこれを書いています。ぼく自身はこの思い掛けないスリップウェア群の発見にかなり興奮しているのです。さきほど興奮してざっと全体に目を通しましたが時間をかけてじっくり見ます。


ロンドン博物館
ロンドン博物館/やきものコレクション
ロンドン博物館/やきものコレクション/スリップウェア
ロンドン博物館/やきものコレクション/スリップウェア/スタッフォードシャー州のタイプ

(07.10.2)


20.


 イギリスの18-19世紀頃のスリップウェアです!

 それはすでに昔話のような大正時代の濱田庄司さんの回想にリーチさんと共にセント・アイヴスにいた時のこんな話があります。そこはニシン漁の盛んな港町であり、沢山捕れたニシンを干したり塩漬けにしたりして出荷したあとなお余った分を農民達が肥料として畑に肥料として鋤き混んだのだと。そしてそのニシンを狙って集まってくるカモメが上を飛び回っている畑は最近鋤き返した畑なのでそこに行ってみるとスリップウェアなどのやきものの破片が沢山顔をのぞかせているというのです。スリップウェアはこの地方でも日常に沢山使われて壊れたものを捨てたのだろうという話でしたが、現地に行かれたある方に話を聞けば今ではスリップウェアのかけらはまるで見つからないとのことでだから濱田の話もはたして本当だろうかと、さらにはスリップウェアのような手のかかるやきものがはたして本当に庶民の普段使いのものだったのだろうか、あるいはけっこう高級な一部の階級のものだったのではないかともおっしゃるのですがたしかにこの頃の濱田ややはり同時期にそこに居た松林つる之助(つるの文字は雨かんむりに鶴ですが機種依存文字のためここでは仮名にしました)さんの拾って持ち帰った陶片が駒場の日本民藝館や宇治の朝日焼の資料館に残されているのでかけらが当時沢山落ちていたのは間違いのないことだろうとぼくは思っています。スリップウェアを再現しようとすれば様々な困難や確かに面倒とも思える面があるのは事実ですが、しかし簡単に済ませば簡単に出来るというものでもあるというのも実作者としての自分の実感です。
 丹波の師匠の元での弟子時代はさすがに800年も続いてきたやきものの村だけあって畑でも竹薮でもあらゆるところに陶器のかけらが散らばっていていろいろ拾っては飽かずに眺めていましたが、ここ生畑の畑にも沢山とは行きませんが時々この山里で使われたやきもののかけらが混ざっているのを見かけます。これに興味を持って何かあれば取って置いてもらうようにあるおじいさんにお願いしていたところ江戸もかなり早い時期の丹波焼などが出て来て驚いたことがあります。話をイギリスに戻しますが、だから濱田さんの話からはせいぜい200年ほど前のこういうものが出てもなんら不思議はないと思うのです。
 そんな訳でいつかイギリスに行ってせめてかけらでも探して拾いたいものだ、あるいは誰かそういうものを拾い集めている人があるのではないかと思っていました。日本なら骨董屋さんなどを丹念に探せば唐津でも常滑でもあるいは縄文土器でも平安時代の瓦でもそういう人気のあるやきものの陶片を見付けることは特に難しいことではありません。しかしよほど古い考古資料は別としてこのような陶器のかけらを観賞目的で求める人は日本人以外にはあまり居ないようで外国では案外に売り物としては見当たらないのです。それでもいつかきっとと信じてはいたもののはたして実際にこれを見付けた時はさすがに「あっ!」と心ときめきました。
 イギリスなど外国で何度か立派なスリップウェアの鉢や皿を見付けては問い合わせたりしてみたことはあるのですがやはり本国でも値段は高い上にそういう高価な壊れ物を不自由な言葉を頼りに個人輸入する不安もありなかなか結縁しないでいたのです。しかしこれは小さな欠片ですからまだ値も安く何としても手に入れなければならないと思い、取り寄せてみたのですが一週間ほどしてようやく届いた梱包を解いてみればやはり写真で見ていた以上に生々しくうつくしいもので歓びました。話しによるとそれはスリップウェアの代表的な産地とされているスタッフォードシャーとシュロップシャーの州境辺りにあった古い宿屋(tavernと書かれていたのであるいは酒場?)の跡から見付けられたとのことで丹念に拾い集めたのであろうスリップウェアやその他のやきものの沢山の細いかけらの中にこれが含まれていたのです。
 残されたかたちから予想すれば比較的大きな角鉢の口辺部分のようですが、紋様自体は先年の展覧会の折りに出されたこの手のスリップウェアの決定版ともいうべき図録にも自分が知り得る限りのあらゆる資料にも類品がありそうなのに見当たらない珍しいものです。もしも全体が残っておればこれもまたなかなかの名品であったろうという気がするのです。いつか全体の姿を想像しながらこれを復元してみたいと思っています。

(07.10.17)




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