バァと私たちの1914日
始まりは帯状疱疹だった。おでこに2つおできができたと思ったら数日うちにみるみる瞼まで広がった。同時に発熱。受診して処方された薬でさらに熱が上がり、薬が合わないのでは?と翌日再受診して入院となった。それが土曜日。ドクターの治療計画書には「1週間の入院」とあり、私たちもそのつもりだった。点滴で日曜には一旦熱は下がり、返事もして、少しおしゃべりもした。私たちが帰るときには「おやすみ」も言った。なのに、月曜日の夕方、また熱が上がった。「帯状疱疹ができるくらい免疫力が落ちているので どんな細菌に感染してもおかしくない状態」とドクター。それでも日をまたぐ頃には熱が下がり、個室が空いてなく大部屋だったこともあって私たちは後ろ髪を引かれながら帰宅した。その数時間後の18日午前4時半ごろ病院からの急変を告げる電話。私たちが駆けつけるのを待ってバァは逝ってしまった。私たちを置いて。どう考えたらいいのかわからない。バァのいない毎日は考えられない。でもバァがいない。どうしてなのかわからない。バァとの5年余りの思い出が押し寄せてくる。もっとしてあげられることがあったのではないか、どうして逝ってしまったのか、ダーリンと2人で堂々巡りを繰り返している。この悲しみが癒える日がくるのだろうか。こうして書いているうちに気がついた。悲しいでいっぱいになっていてまだバァに言ってなかったね。バァ、私たちに幸せをくれてありがとう。