カテゴリ:夢か幻か歴史を考える
Three Kingdomsを見直した中学生にころに読んだ三国志、20代のころに読んだ三国志演義、NHKでやっていた人形劇など何度も三国志は見たけれど中国の映画Three Kingdamsはとてもスケールの大きなドラマです、映画「レッドクリフ」も赤壁の戦いを描いたその一部ですよね。正史「三国志」の中の魏の国(曹操)の歴史書の中に日本のことが書かれている部分が俗にいう魏志倭人伝 ということなのですが、あの壮大で長い長い文章の中にほんの少しだけ日本のことが書いてあるんですね。 まあ、三国志演義やThree Kingdamsには倭人の国の話は出てきませんが、Three Kingdamsの特別編集版をとっておいたハードディスクが出てきたのでノンアルコールビールを片手にのんびり見返しました。 魏がわざわざ倭国のことを書き残したのはなぜなのかこのブログでは大昔の日本史のことを何度も書きましたが、魏志倭人伝は3世紀末に書かれた書物なのですが海流の流れから考えても、中国大陸から流されて日本にたどり着く人は居ても日本から中国大陸へ帰っていく人は本当に少ないのではないかと思われます。ですから朝鮮半島経由で日本へ行った使者も正しい位置がわかっていなかったという説を読んだことがあります。 いまだに邪馬台国がどこにあるのかはっきりした確証がない理由がそこにあるのです。 しかし、どこにあるのかはっきりしない遠い海の上の外国について昔は貴重だった記録にページを費やしたのなぜなのでしょうか。 ブログのように書いたり消したり何度でも可能でサーバーに沢山のデータを残せるのならいざ知らず、木簡とか羊の皮など非常に貴重なものだったはずですから、そんなに重要でない国のことを長々と書き残すなんてはずはありませんよね。 魏という国にとって邪馬台国が大切な国で、東の海の上に力を持った国が存在するということが戦略上他の2国に対して有利になるからじゃないかとふと思って調べてみました。 呉に対しての地理的優位な位置本当はここで3国の位置関係を解説する地図があるといいのですが、手元にはそんな都合の良いものがありませんのですみませんが三国志・地図と検索してみてください。魏が想像していたより北の方にあり、呉が想像していたより南に広いように感じます。 さて魏から見て日本の位置はほぼ東にあたりますが、この国がもう少し南の台湾の東の海上にあってしかも航海術に長けていて人数も多く軍事力が強大だとしたらどうでしょう。 つまり魏志倭人伝は、魏が呉に対して「お前たちの背後には俺たちの強力な同盟国がいるのだ」とブラフを言っていた頃の話を記述したのではないでしょうか、魏志倭人伝が書かれた時代は少し後の時代になりますが、曹操の亡くなった後の魏が天才軍師の諸葛亮公明との戦いに力を集中する為に、呉の抑えとして重要だったのではないでしょうかと思っています。。 実際に魏志倭人伝には途中で行程が里数から日数に変わるため邪馬台国の都まで行ってはいないという説があり、韓国の近くにあったのでは意味がないため距離が大幅に改ざんされて日本の南の太平洋上に存在するかのように伝わっていたものを、そのまま書いてしまったのではないでしょうかと考えます。 孫権が台湾征伐に行ったどうやら魏の国のブラフにはまったのか、孫権は230年に重臣たちの反対を押し切って夷州(台湾)と亶州(日本)を責めるよう命令し1万の兵を派遣します。劉備も曹操も死んでしまった後、諸葛亮公明が第四次北伐として五丈原で司馬懿仲達に勝つ前の年ですが、まだまだ3国の対立のさなかのことです。 この時は台湾で伝染病が流行って戦死者より病死者の方が多かったらしく、その後の日本遠征もとうとう日本を見つけられずに帰ってきたということらしいのです。 まんまと魏のブラフにはまって沖ノ鳥島のあたりをさまよっていたんでしょうかねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.23 18:50:32
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