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松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。
「恋」 この曲について書くのは2回目である。 前回は、この曲の美しいメロディーは英国紳士も感動させた(しかもわたしのどへたくそなピアノで)というエピソードを書いた。 今回は、この曲について、私がここ数年漠然と思っていたある疑問に結論が出たので、ちょっと書いてみたい。 それは「恋」はもういまの時代には合わないのか? ということだ。 結論を出させてくれたのは、先日卒業式にやってきたチエちゃん。 ( 7月10日日記『9日:卒業式(3)かみぽことかみぽこカーの「長い夜」』) 卒業式の日、愛車かみぽこカーに3人の宿泊者を乗せて学校に向かっていた。車内音楽はもちろん千春。 チエちゃんがわたしに聞いてきた。 「私あの曲好きなんです。『男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて』って曲」 ああ、「恋」ね。よくそんな古い曲知ってるね。 でも、この曲はもう今の時代には合わないんじゃない?もう男は女を待たせたりしたら、張り倒されるよね。 「いや、女はもっと男を立てるべきだと思います。この曲、切なくて大好きなんです!」 チエちゃんにそうきっぱり言いきられてしまった。 チエちゃんは高校の英語教師をしている25歳。 そんな若い、しかも自立している女性の強い、きっぱりとした発言。。。 わたしはこれまでこの「恋」という曲について、同様のコメントを何度も女性から聞いている。 1996年頃から、わたしが松山千春をカラオケで歌うようになった。 「恋」はわたしのメイン・レパートリーなのだが、この曲を歌い終わった後、女性の反応はだいたい、 「いい曲ですねえ。切ないわ。。。」 という好意的なものが多い。 逆に男性陣はほとんど 「これはいまの時代には合いませんね」 という冷ややかなものだった。 これはどういうことなのかな、とずっと考えていた。 「恋」の『男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて』という、あまりにも有名なサビの部分。 これについては、松山千春さん自身が「この曲は、いまの時代には合わんな。20世紀に残していく曲だ」というような意味のことを発言していたように思う。 しかし、これまでのわたしの周囲での「恋」に対する女性の好意的な反応をみると、ほんとにそうなのかな、と思ってきたのだ。 そのわたしの長年の疑問は、チエちゃんのあまりにもきっぱりとした主張ではっきりと解けた。 誤解を恐れず言います。 「『恋』を切なくていい曲」だという女性。 いまの時代、女性は確かに自立をめざしている。 しかし、女性は男性を捨てて、ただ自立に突き進んでるわけではないのではないか。 女性は男をがっちり受けとめる気概をいまでも持っている。 それに対して、「『恋』をいまの時代に合わない」という男性。 男は勝手に弱くなりすぎているのではないか。 男が女性に理解を示してるつもりで、ぺこぺこしすぎているのだ。 女性はそんなものを望んでいない。それは女性に失礼である。 女性は男らしさを望んでないわけではない。 男らしさを受けとめた上で、自分も自立しようという強さを持っているのだ。 いや、もちろん私は男尊女卑的なものを肯定しているわけではない。男性は男性で、女性は女性で堂々と振る舞い、個人対個人として対等に付き合えばいいのだと思う。 「恋」はもういまの時代には合わない曲ではない。 いまでもじゅうぶん通用する、 女性の強さを表現した、珠玉の名曲である。 シングル 1980年1月21日発売。 アルバム「起承転結II」収録 1981年11月21日発売。 アルバム「旅立ち」収録 1986年10月25日発売。 アルバム「風景」収録 1996年4月20日発売。 アルバム「季節の旅人」収録 2001年3月31日発売。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年07月27日 14時46分26秒
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