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さて、今日は久しぶりに
「日本人会」について 書こうかなと思う。 いつから書いてないんだっけ?(笑) それで今日書くことって なんと今年の2月のことなんだよね。(苦笑) もう今更いいよって感じなんだけど、 この「日本人会」の話も すっと書いてきたことなんで、 一応完結の方向に進めたいと思う。 実際の日本人会は今、 もっと先に進んでいるわけで、 新しい子もたくさん入っているわけだけど このブログ・メルマガは 結構彼らに知られてるようなので、(苦笑) 今日は「ひとつの世界祭」の準備に 一生懸命がんばっている彼らに 「日本人会」の成り立ちからこれまでを 知ってもらうのもいいかもしれないので、 エントリーの最後には、 「日本人会」のシリーズの バックナンバーへのリンクを つけておきたいと思う。 思い切り私の主観が入ってるけどね。。。(苦笑) さて、本題に入るけれども、 今年の1月、「ひとつの世界祭」で ソーラン節やファッションショーのパフォーマンス、 露店や茶道などの準備を通じて、 多くの若者が日本人会に 参加するようになったことは 「日本人会」シリーズの 前回のエントリーで書いた。 その「ひとつの世界祭」が終わった 今年の2月のある日。 この文化祭で中心となって がんばった学部生の男の子が 芸術会館のカフェにやってきた。 「マレーシア人やシンガポール人の会が イベントを一緒にやらないかと 打診してきてるんですけど、 やっていいですか?」 彼の問いかけに私はこう答えた。 「おお、いいと思うよ。 どんどん自分らで話し合ってやってくれ。 ところで、どんなイベントなんだ?」 そのイベントとは以下の3つだと いうことだった。 1. アジアン・フード・ディ(2月上旬): アジア諸国の会が合同で各国の料理を振舞うパーティ。 2.マレーシアン・ナイト(2月下旬): マレーシア人会の主催するパーティ。 3.アジアンの日(3月上旬): アジア諸国の会が合同で主催するパーティ。 なんか、手を変え品を変えという感じが しないではなかったが。。。(苦笑) 「金は大丈夫か?」 私は聞いた。 「アジアン・フード・ディはむしろ利益が出ると思います。 アジアの日は、『ソーラン節』のパフォーマンスを もう1回やってくれというリクエストですので。」 「そうか。じゃあ、自由にやったらいいよ」 私はOKを出した。 数日たって、彼から 日本人会全員に連絡してほしいという メールが私に流れてきた。 私は彼のイベントへの案内文(英文)に 数行(日本文)自分の文章を付け加えて 会のメンバー全員に流した。 私の文章を入れたのは、 元々の最初の文章が 「へい!みんなで盛り上がろうぜい!!」 みたいな調子だったのだ。(笑) まあ、これは英語だと なんとなくこういう調子だし、 彼ら若い人の間では普通の文章で、 別に失礼なつもりはないのだろうけど、 日本からの留学生は 修士課程の大人が多いわけで、 この文章を見て微妙なことを 思わない人がいないとは限らない。 だから、数行私から付け加えておいた。 さて、アジアン・フード・ディの当日。 場所は新入生歓迎会をやったのと同じ スポーツパビリオン。 少し遅れ目に会場に行ってみると、 結構たくさん人が来ていて賑わっていた。 日本人会のテーブルの前も 長い行列ができていた。 5分くらいたって ようやくテーブルの前にたどりついた。 肉じゃが、お好み焼き、からあげ、 とんかく、などなどの 日本食が並んでいた。 「いらっしゃいませ!」 初めて見る男の子に言われた。(苦笑) 学部生らしかった。 ちゃんとやってるな、と思って 安心した。 続くマレーシアン・ナイトは 都合が悪くていけなかったが、 最後のアジアの日は顔を出してみた。 日本人会は「ソーラン節」をやったわけだが、 これは他のアジア諸国からの 強いリクエストによるものだった。 「ひとつの世界祭」で演じて、 かなり評価が高かったから、 もう1回やってほしいと いうことだった。 ソーラン節はJYAが中心だったので、 彼らは3月にコースが修了する直前で、 エッセイの追い込みで大変だったのだが、 「ひとつの世界祭」の時以上に 完成されたパフォーマンスを見せてくれた。 (ようやくこの会は 俺なしで動き始めたよな) 帰り道、かみぽこカーを運転しながら そう思った。 日本人会の「自立」を実感して、 私はある重要な決断をする 必要性を感じ始めていた。 それでは、またね。 ---------------------------------------------------------- 「日本人会」バックナンバーはこちらへどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月11日 17時08分43秒
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