カテゴリ:エッセイ
1970年。今から38年も前にヘロイン中毒で亡くなったJanis Joplinの歌う”Rose”を聞いていた。
Janisの曲は学生時代に友達の部屋でcdを聞いてから、強烈なその歌に惹かれてファンになってから何度も聞いていた。 "piece pf my heart", "summertime", "move over", "Me and Bobby Mc Gee".. そして、彼女の孤独で、愛を求め続け、悲しみに埋もれ、満たされない心を抱えたまま、たった一つの希望を歌の中に探し、時代の中でさまよい続け、27歳で亡くなった、彼女を思った。 彼女の人生の意味はなんだったのか? 彼女は幸せだったのか? そのつぎはぎだらけの人生は、やがて分裂し、闇へと消えていき、結局彼女には歌だけが残った。。 歌うことが生きること、それがただの言葉ではなくて、彼女にとっては本当に生きることで、歌っている以外の時間は、生きる意味さえ失くした時間だった。 生きることの全ての意味が歌う瞬間に溶け込んでいき、その歌う時間が濃くなればなるほど、それ以外の時間はまるで霧のように、ぼんやりとして、形も重さもないものへと変わっていく。 彼女の好きだった”PEARL”という愛称は、彼女そのもので、まるで深い海の中でずっと貝の中で押さえつけられ、その身体を美しい宝石に変え、やっと空の下に一瞬出てきたと思うと、また深い海の底へと沈んでしまった。 人生の意味ってなんだろう?と思う。 今だに多くの人が認め、崇拝する人のいる彼女の歌。 これだけの強烈な才能と、歴史に残るほどの革命的な影響力を持ちながら、生きていることに幸せを感じていられたのだろうか。 もしくは、その生きる情熱のすべてをアートの中に注ぎ込んだからこそ、今こうして人々は彼女を慕うのだろうか? メルセデスベンツという曲の中で、 lord, please don't let me down. (神様、どうか私をがっかりさせないで) という言葉が出てくる。 繊細で壊れそうな彼女の心の声がほんの少し垣間見えたような、 そんな気がした。。 http://jp.youtube.com/watch?v=EB9pfgHdW9A&feature=related 歌を聞いて、とても素敵な歌詞だったので、気の向くまま訳してみた。。 ”ROSE” 誰かがささやく。愛は川だと。か弱い葦など簡単に押し流してしまうような。 誰かがつぶやく。愛はカミソリだと。魂に傷をつけてその血を止めることもできない。 誰かが叫ぶ。愛は渇望だと。まるで終わりのない痛みを伴う欲求だと。 私は信じる。それは一つの花なんだと。そしてあなたはその花を咲かせる大切な種なんだと。 壊れてしまうことを恐れる心は、決して躍りだすような喜びを感じることはできない。 失望してしまう事を恐れる夢は、絶対にチャンスをつかむことはできない。 何かを奪われることを恐れる心は、決して何かを与える暖かさに触れることはできない。 そして、死を恐れる魂は、決して生きることを心から味わうことはできないんだと。 たとえ途方もなく寂しい夜が続いて、果てしない道がこの先にずっと続いていたとしても、 もしもあなたが、愛は幸運や、強さで勝ち取るものだと考えた時には、 そう。思い出してほしい。。 冬のじっとりと厚く冷たい雪の底には、その種が眠っていることを。 あなたは、春の太陽の恵みに抱かれて美しいバラの花を咲かせる その種なんだということを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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