テーマ:詩&物語の或る風景(1049)
カテゴリ:童話や絵本とファンタジー・・
アラスカ
旅の始まりはアラスカだった。1/3が北極圏の中にあり、一年の半分以上が0度以下の季節が続くところ。太古のアメリカインディアンの多くが、ここアラスカを渡り今のアメリカ大陸へとやってきた。そんな人々が大地の下に眠り、永遠という名の氷と共に一生を過ごしてきた人々。 その人々の間では、凍りつく空気の中で、雪は人の心のように温かく、優しいものだった。。 その少女に出会ったのはアンカレッジの空港についてすぐだった。横なぐりの雪の中、空港のターミナルの出口はすごい混雑で、そんな人ごみの向こうに母親に連れられて、赤い毛糸の帽子が揺れていた。 その後ろ姿になぜか懐かしい愛おしさを感じたのを覚えている。 みるみる遠くなって消えていった後には、まるで初めて野生の熊を見たときのような驚きが残っていた。 今覚えば、彼女の持つ人間離れした波動を微妙に感じとっていたのかもしれない。 次の日たまに太陽ののぞく曇り空の中、僕は湖へと向かった。夏のわずかな時間だけアラスカの山々を映す、冬には凍り付いているその湖の前に立ってみたかった。そこからアラスカの自然をそのまま抱きしめたかった。 あまり旅人のいないその山小屋の前で、世界はただそのままの姿で存在していた。気を許していれば見逃してしまいそうなその景色の前で、僕は何度も深呼吸をした。そこに生きてきた人々を、そこに生きている動物たちを、そこに生を育む植物たちを、その大地を、空を、湖を、身体中で感じるために。 頬が寒さで痛くなり始めたころ、空はゆっくりと回転を始め、僕の平衡感覚はなくなっていった。 そしてそのまま雪の上に倒れこんだ。遠のく意識の中で、駐車場の先に見えたのが、機能見かけた赤い帽子の少女だった。小さな足で、まるで跳ねるように近づいてくる様子はまるで、アラスカのナキウサギのようだった。 慌てて駆けつけた彼女は僕の身体に触りながら、”crow..”と呟いた。やがて彼女の母親も駆け寄ってきて、気の遠くなりかけていた僕を抱きかかえて、小屋まで運んでくれた。 栄養不足と軽い貧血のようだったが、あの空が回る感覚は何か宇宙が自分の身体の中に溶け込んでいくような、そんな不思議な感触を僕の中に呼び起こしていた。 それがきっかけで僕はその親子と一緒に旅をすることになる。 僕にとってはそれが宇宙からあふれ出る夢幻の何かを感じ取る旅になった。 幼い彼女の名前をNyunと言った。なぜか彼女は僕にとてもよくなついてくれて、旅の途中では母親より僕と話をしたり、一緒にいる時間の方がきっと多いに違いなかったと思う。 ロシアから来たという真っ白な肌をしたその親子は、なまりの強い英語で、いつも穏やかに話をした。 Nyunはいつも車の窓の外と自分の顔とを交互に見ながら、山の向こうの話や、空や、湖や、星の話をした。 そして僕はその彼女の話が、窓から見えた景色ではなくて、その場所に本当にいないと感じられない言葉を使っていることに気づいた。 そして、その彼女の瞳を見つめているうちに、自分まで、一瞬にしてその遠い大地に意識が飛んでいくのを感じた。 それは不思議な体験で、まるで二人で妖精にでもなったように、僕たちは自由に車の中から飛び出して雪原や、高い木のてっぺんや、氷の張った湖の上や、突き出たごつごつとした岩の上にまで飛んで行くことができた。 そこからは僕たちの乗っている車や、遠くの山の峰や、はるか下を走り抜けるオオカミが見えた。 やがて僕たちは動物たちと話を始める。雪の中で息を潜めるキツネや、ムースや、ハクトウワシたち。そして獲物を狙うオオカミ。 昨日降った新しい雪のことや、美しいオーロラの大好きな色や形について。。 僕はいつだってオオカミと話をするのが大好きだったけれど、Nyunはいつだってオオカミを怖がっていた。そんなNyunはキツネたちと話をするのが好きなようだった。 僕たちは、時も場所も忘れてその不思議な空間で話をした。言葉なんかいらなかった。そこにいるだけで、考えていることは心に伝わってきた。 まるで笛の音が鼓膜を揺らすように、僕の心を直接揺らしていた。そしてそれを真っ白な雪が優しく包んでくれていた。僕らはまるで当然のように動物たちと雪の上を駆け抜け、風に乗り、鳥とともに空を飛んだ。 その夜はもっと素敵だった。 僕らは小さな小屋の暖炉のそばで寝ているふりをしながらアラスカの空を飛んだ。オーロラが夢のように綺麗に二人にせまってきて、絵本のページをめくるように次々と形を変えていった。 星が二人に微笑みかけて、二人の心が喜びでいっぱいになった。 そして、二人は同じ世界を見た。そして、この先に広がる未来も。 世界が混沌と、迷いの中で、けれどたくさんのきらきらとした未来を作り出す数少ない人たちの光が、少しずつ周りを明るくしていく様子を。 やがて、そんな二人を讃えるように、一斉に森の動物たちが雄たけびをあげる。そして、二人は本当の眠りへと落ちていった。 かけがえのない時間。そして距離。 今までとまるで違う世界を、僕らは別々に歩き始めた。 そして、僕は日本へと帰った。。 (おしまい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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