ボクサー、試合中の死亡事故
リング事故のボクサー死亡5月19日16時1分配信 時事通信 日本ボクシングコミッションは19日、リング事故による急性硬膜下血腫で開頭手術を受けた張飛選手(本名竹内幹雄、明石ジム)が18日に死亡したと発表した。22歳だった。 張飛選手は3日に東京・後楽園ホールで行われたスーパーライト級6回戦でTKO負けした後、意識を失い東京都内の病院で手術を受けた。以降、入院加療中だったが意識は戻らなかった。2005年4月にプロデビューした同選手の戦績は5勝(4KO)6敗。 八百長や、やらせなど、騒がれることが多いが、今回の事件で、本当に死と隣り合わせのスポーツだと痛感しました。トランクスには、故郷の中国、育った日本、そして支援を受ける韓国系企業の3カ国の国旗をあしらった。来日後、両親が離婚し、定時制高校に通いながら働いた張選手。「強くなり、良い試合をして『アジアみんな仲良く』とリングで訴えたい」と意気込みを語っていたそうです。張選手は、祖母の竹内ヨシノさん(82)=神戸市垂水区=が戦時中、長野県から旧満州に渡り、終戦時に取り残された。竹内さんは現地の中国人と結婚し、約20年前に残留孤児として帰国。張選手も6歳の時、家族と祖母を頼って来日した。 日本語が分からずからかわれたこともあったが、定時制高校の時、アルバイト先の友人に触発され、ボクシングと出合った。05年4月、デビュー。昨年4月、リングネームを本名(張師)の一字を含む三国志の英雄の名に変えてから頭角を現し西日本新人王を獲得。切れのある左フックが武器だ。 練習の合間にゴルフ場のキャディーを務める。試合後のはれた顔で韓国系企業の関係者を担当したことがきっかけで、支援を受ける幸運にも恵まれた。「お互いを知ろうとすれば分かり合えるはず。ボクシングを通じて、日中韓の橋渡しをしたい」と話す。竹内さんも孫の姿を「頼もしい」と見つめていた。ご冥福をお祈りします。