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テーマ:ひとりごと(15010)
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詩ではないです。
日記です。 ある人と、付き合って、離れて、また付き合っていました。 高1の冬から、いま、大学2回の春まで。 いっしょにいた時間は、三年と三ヶ月。 最後のキスもセックスも思い出せません。ずっとしていなかった。 とっくに、わたしたちの感情は恋愛なんか超えて、愛になっていました。家族愛です。離れられるわけがなかった。 最後にキスを、セックスをしたとき、きっとそれが最後になるなんて全く思ってなかった。それは、よかったなと思う。 最後の何かって大切にしたいけど、最後だって思ってするのは、なにか違うし。 「愛してる」なんて恥ずかしいこと、お互い言えないけど、彼が言うなら信じられるなあと思います。他の誰が言っても、さめてしまうだろうけど、彼が言ったら、そうだねー、って笑って、ふつうに。 わたしはまだ二十年も生きていなくて、大人になったときの三年間がどんな位置づけにあるのか知らないけど、高校の三年間、十代最後の三年間は、大きくて、きっとずっと忘れないし、思い出さなくなっていくにつれて、どんどん大きくなるんだろうなあって思います。予感、確信? 怖いなー(笑 家族愛みたいなもんだから、毎日連絡取らなくても平気だし、一週間とか一ヶ月とか、まるで地元にいる親に「元気だよー」と電話するような感覚で、これから彼と関わって行くんじゃないかと思う。 いまさら縁を切れと言われたらどうしていいかわからないし、 もしわたしに恋人がいて、彼に恋人ができても、彼が不治の病で余命一年だと言われたら、大学休学して、飛んでいくだろうな。たとえ逆の立場で、彼が飛んでこなくても。うーん、いや、来るだろうなあ(笑 いま、毎日ふわふわとしています。 恋愛感情をひきずっているのではなくて、思い出が多すぎて、何をしても思い出してしまって、今はまだそれがつらくて、さみしくて、日常をうまく過ごせません。 もっと何かしてあげられたらよかっただとか、そういえばあのラーメン屋に行こうと言っていたのに行けなかったとか、そんなことばかり。毎日考えています。 それなら家族愛でもいいじゃないか、恋愛じゃなくても一緒にいれば、といろんな人に言われました。 そうかなあとも少し思います。そうかなあと思って、過ごしてきた時間が三年間の半分くらいあったのかもしれません。それでもいいけど、わたしたちは恋愛がしたくて、お互いを求めていない関係は、さみしかった。 一生だいすきだろうなあ。 これからお互い、ほかの恋人ができても。 ああ、元気で健康で楽しくやってるかなって、考えるんだろうな。 わたしたちは上手に恋愛できなかったけど、相手の幸せを願うことだけは、ずっとしてきた。 だから離れられなかった。 ほんとうは、家族愛でも、いっしょにいられたら幸せだった。 だけど、幸せになるよりも、恋愛をしたいなって、思った。 17歳からの三年三ヶ月、わたしの毎日に彼がいない日は一日もなかった。 だから、今日や、あしたが怖い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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