11月例会
またコロナの増加に伴いラインでの句会であった 鑑賞句冬日和熊野古道の無人駅 間去留冬の一日熊野古道を訪ねた。そこには、駅があったが、無人駅であった。冬日和のいい一日であった。その時の情景を、17文字にまとめたものであるが、俳句は17文字で残しておけば、その時の情景がいつまでたっても、無限大に広がるところが良い。 熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。熊野参詣道ともよばれる。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。2004年に世界文化遺産に登録 投げ出して足の裏から日向ぼこ 碧雲 夏の暑さと、冬の寒さと、春のけだるさと、秋の寂しさは嫌いである。冬は日が当たらない部屋にいるよりも、日当たりのよい外の方が気持ちがいい。よく車を駐車場に停めて、その中で読書する。自称カーマンションと言っている。そこでは、足を投げ出して日向ぼこを、しているのである。菩薩像片身陰りて冬隣 寂如 冬の日差しが菩薩像の片身だけを照らしている。あとの半分は寒いであろう。よく観察されている俳句である。もう少し時期が、冬になるとこの片身へも、日差しが届かないかもしれない。うらさみしい句でもある。夕陽(せきよう)に金(きん)に透けゆく尾花かな 寂如 寂如さん独特の万葉調俳句である。実にうまい描写であるが「に」の助詞が気にかかった。「に」は俳句では説明的になりやすい。それを二つも使ったところに問題がある。上5の「に」で一息入れて読んでもらえれば意味は通じるが、やはりここは「夕陽に金と溶けゆく尾花かな」であろう。なんとしても惜しい句である。私の中ではこの助詞さえ違っていればだんとつの特選であった。霜月の飛天軽やか法隆寺 酔桜 法隆寺壁画の天女が軽やかに舞っている。仏の世界である。法隆寺で壁画を見られたのであろうか。長い事行っていないが確か壁画は火災にあった後防火設備の整った部屋で展示されているはずである。昭和24年のこの火災を契機として文化財防火デーができた。 法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)は、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂の壁面に描かれていた7世紀末頃の仏教絵画である。確実な歴史的史料がないことから作者は不明とされている。インド・アジャンター石窟群の壁画、敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)の壁画などとともに、アジアの古代仏教絵画を代表する作品の1つであったが、1949年の火災で焼損した(壁画の画像は外部リンクも参照のこと)。 年惜しむ喪中はがきのうすき文字 沙夢 今年も11月に入った。欠礼の葉書が毎日のように舞い込む。今年一年はコロナで散々な年であったが、それでも、あそこのあの人が、ここのこの人がなくなったのかと葉書を見て年とともに惜しんでいるのである。それにつけても、はがきの文字のなんと薄いことであろうか。これも哀愁を誘う。