転落の歴史に何を見るか 斎藤健 ちくま新書 680円
なかなか面白かった。明治維新から日露戦争までが、日本という国家が登りつめていくプロセスであり、組織機能上もモラル的に見ても最高点に達している。ところが、その34年後のノモンハンでは、これが同じ組織かと思うほど失敗している。それは、物量や機械装備で負けているという己の正しい姿を認識できず無残に敗れ、その反省も軍事・政治戦略に反映されることなかったなど、その後、太平洋戦争に敗れ大日本手国という国家が崩壊するまでの転落の歴史につながっているという。戦後、日本は奇跡の復活を遂げはしたが、同じ転落の歴史を繰り返そうとしているのが著者の指摘である。
ひとつ前から気になっていたことが取り上げられていた。官の非効率・腐敗がめだち、いつからか政治主導・官邸主導がしきりと言われるようになっている。確かに官僚のひどさは目に余る。しかしながら、その受け皿が今の政治家で大丈夫かというのが小生の心配である。官がだめだから政だというような安易な二元論に落ち込んでいるのではないかという著者の指摘は私の心配に通じる。選挙で選ばれるからというだけで国勢を任せるだけの資格に十分なわけではない。政がひどいから官に任せようといっていたのがその前の状態であり、政のおそまつさが解消されたかといえば改まってはいないと思う。著者は代議制民主主義を補完していく仕組みや慣行が必要であるとしてフランスの例をあげている。「政党がしばしば、ENA(国立行政学院)出身の若手の官僚や学者の中から、とくに将来が嘱望される人材に目をつける。そして絶対当選できる選挙区を割り当てて三十代で当選させ、四十代で閣僚にし、五十代では大統領や首相をねらえる人材に育て上げるシステムが機能している。」 といい、英国やドイツも同様の政の人材を育てるような補完システムを持っているという。少なくとも選挙資金が限られた額で済むような工夫、また選挙で敗れた時の人材として活かす工夫などが世の仕掛けとしてビルトインされていないと政治に携わろうとする人に十分なインセンティブをあたえにくい。これは官から民へというお題目にも同じことが言える。単純に民になれば、うまくいくものではない。
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Last updated
2008.08.10 18:02:42
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