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北 の 狼

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Jan 8, 2005
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heaven



2001年、アメリカ=ドイツ=イギリス=フランス、トム・ティクヴァ監督、ケイト・ブランシェット。



”恋は始末におえぬ鳥 誰にも飼い馴らせやしない
拒む気になりゃ呼んでもむだよ
脅しも泣きも効き目なく 口説けば相手は押し黙る
私の好きなのは別の人 無口だけどお気に入り
恋!恋!

恋はジプシーの子 法も掟もありゃしない
あんたが嫌いでも 私は好き
私が好いたら御用心
あんたは捕まえたつもりでも 鳥ははばたき逃げてゆく
恋が遠けりゃ待つがいい 待つのをやめりゃそこにいる
あんたのそばに素早く来ては 素早く消えてまた舞い戻る
あんたは逃げるつもりでも 恋があんたをとらえてる
恋!恋!”

(「ハバネラ」、ビゼー作『カルメン』より)



映画『ヘヴン』は、小説『カルメン』(メリメ)の現代版と言っていい作品ですね。カルメンといえばファムファタールの代表のような女性です。

『カルメン』の舞台はスペイン。
騎兵伍長ドン・ホセの人生は、情熱的なジプシー女カルメンに出会ったことで狂い出します。春の祭でカルメンに出会ったホセは、ミカエラという婚約者がありながら、彼女に強く惹かれてゆきます。彼はカルメンの愛を独り占めするため、傷害事件を起こしたカルメンを逃がしてやり、彼女の為に人を殺し、軍歴も剥奪され、山賊にまで身をやつしてお尋ね者にまでなります。
浮気なカルメンに深く嫉妬しながらも冷静な男をいじらしく装い、最後には闘牛士に浮気したカルメンを殺すことになってしまいますが、殺したあとも遺体を愛撫し体を重ねるほどの執着ぶりでした。

『ヘヴン』の舞台はイタリアのトリノ。
29歳の英語教師フィリッパ(ケイト・ブランシェット)は、夫や生徒を死に誘った麻薬売人に復讐しようと高層ビルのオフィスに爆弾を仕掛けますが、計画は失敗し、罪なき4人の市民を死なせてしまいます。
逮捕・勾留されたフィリッパは、その事実を尋問中に聞かされ失神し、その時彼女の手を優しく握ったのが、21歳の刑務官フィリッポ(ジョヴァンニ・リビージ)でした。彼は、死を覚悟しながらも正義を貫こうとする潔い彼女の姿に運命の出会いを感じ、その生き方に恋してしいます。
フィリッパに恋してしまった彼は、やがて彼女を逃がすことを考え始め、他方でフィリッパは麻薬売人を処刑したい気持ちから、フィリッポの立てた計画に乗ります。そして2人は刑務所から脱出し、麻薬売人の処刑を遂げます。
復讐を遂げたフィリッパの生きる目的はすでになく、残されているのは罪のない人を殺したことへの贖罪だけで、「私は終わりを待っているの」と全てを覚悟していました。しかし、フィリッポの一途な想いに心が揺れ動き、もう一度生きようとします。
その後、2人はトスカーナへと向かいますが、偶然にも誕生日が同じであることや名前が似ていることを知り、お互いの想いを深めてゆきます。しかし、逮捕されるのは時間の問題。やがて2人は、追ってきた警察のヘリコプターを奪い、そのまま上昇して空に吸い込まれていくのでした。


カルメンは言ってみればアバズレで、フィリッパは純真タイプと、この二人の女性は正反対ですが、男性(ホセ、フィリッポ)にとっては両女性とも紛れもなくファムファタールだったのであり、その女性のために日常生活の全てをかなぐり捨てて、「愛の楽園(ヘヴン)」を求めて逃避行をし、破滅へと向かうわけです。

何不自由なく生活しているはずの前途ある男が、なぜ、偶然出会った、自分とまったく共通点のない女性に一目ぼれして、破滅すると分っていながら「悪」の道へと共に突き進んでいくのか?

この映画は、『トリコロール』三部作や『ふたりのベロニカ』など多くの名作を残した、ポーランドの巨匠クシシュトフ・キェシロフスキの遺稿脚本を映画化したものですが、そのキシャロフスキがこういうことを言っています。

”この世には自分と同じ人間がもう一人いて、自分の悲しみを受け取ってくれるはずだ。”

つまり、フィリッポとフィリッパは、Better Half だっということですね。しかし、そのような消極的・受動的な動機(運命論)のみでは、二人の果敢な行動は説明しずらいと思います。
ホセにしろ、フィリッポにしろ、彼らが積極的・能動的に求めたのは「エロス」に他なりません。


===============
わたしたちの欲望は、日常世界の中でつねに新たな存在可能を開こうとするときに現れるエロス性を求めている。それが実存的な欲望の意味である。しかし、この欲望は、日常性がそういった挫折の反復しかもたらさないという「体験」(フッサールの言う)の積み重ねによって、この日常性それ自体を破る可能性として予感されるようなエロス性(=”超越的”なエロス性)を求めることになるのだ。そして重要なのは、<社会>や<歴史>や<真理>に対する人間の欲望とは、まさしくそのような超越的なエロス性を意味しているのではないかということだ。
・・・・・・
いまある日常に対してより素晴しい日常を見出したとき、その場面でエロス性はやってくる
この意味でエロス性とはいまある日常性を破るときに生じる「陶酔」(ニーチェ)だと言える

(『現代思想の冒険』、竹田青嗣)
===============


いまある日常に満足している者はそれでよいでしょう。しかし、それでは満足できない者もいるわけです。
いまの自分は”ほんとう”の自分のありようとは根本的にどこか違う、なんとかしてこの閉塞的な状況を打破したい・・・・・世間体、慣習、ルール、常識によって心の深層に封印されていた、そういう”魂の叫び”が炸裂する契機が、人生に一度か二度は訪れるものです。人生の新たな可能性を感じた時にやってくる、あの心地よい感覚が、エロス性というものです。

バタイユによれば、人間の性のエロティシズム(エロス性)というのは、人間が本来超え得ない<死>を「乗り超えうる」可能性の幻想として現れることになります。
ですから、フィリッポとフィリッパのように、エロス性によってつき動かれた人間には、<死>への恐れがないのです。


ちなみに、イエス・キリストが<死>すなわち「十字架」を受け入れることができた根底には、それによって「人間」や<死>を超越しうるというエロス性の生起があったのではないでしょうか。






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Last updated  Jan 10, 2005 02:17:24 AM
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