北 の 狼

2005/02/05(土)01:43

『ノン、あるいは支配の空しい栄光』

1990年、ポルトガル・フランス・スペイン、マノエル・ド・オリヴェイラ監督。 90歳を過ぎてもなお現役のポルトガルのオリヴェイラ監督ですが(2003年、つまりなんと95歳で『永遠の語らい』を発表しています)、『ノン、あるいは支配の空しい栄光』(以下、『ノン』と略)は1974年4月25日のポルトガルの「カーネーション革命」に触発されて製作された映画です。 ポルトガルというとスペインと一緒くたにされる傾向があるかもしれませんが、ポルトガル人気質は、スペイン人に比べ穏健で、熱狂的な面は少なく、交際能力に長け、地中海沿岸の諸国民のうち最も秩序があり、洗練されているとのことです。国民の90%がカトリックで、比較的同質的な人種集団を形成し、言語・風習も地方的偏差は少ないですが、ただ、南北の二重構造(貧富の差)が顕著で、北部の生活水準が高いようです。 ポルトガルの歴史で我々にポピュラーなものは、大航海時代(15-17世紀)における活躍でしょうし、ポルトガル人が種子島に着き鉄砲を伝えたのもこの頃(1543年)でした。 オリヴェイラ監督といいますと、男女間や共同体における個人的または内面的な葛藤をテーマにした作品が多いですが、『ノン』はポルトガル民族・国家という集団の歴史や命運に焦点を合わせています。 ”満たされない愛というテーマは絶対的なものを夢想する典型的に女性的な問題である。それに対して、敗北というテーマは男性に固有な問題だ。” (オリヴェイラ) つまり、それまでの作品は、個人の「満たされない愛」という女性的な問題が主なテーマでしたが、『ノン』の場合は、民族・国家の「敗北」という男性的なテーマを扱っているというわけです。 確かに、『ノン』はそれまでの作品と比べて方向性(男性的か、女性的か)こそ違います。しかし、徐々に破滅へと向かう独特のリズムや、個人の内面から事象を捉えるというナイーブな視点には大きな変化はなく、これらの点ではいつものオリヴェイラの作風を踏襲しています。 オリヴィラといえば、アンゲロプロスと並んで長回しをよく用いることで有名ですが、『ノン』でも冒頭でいきなり青々と茂った樹を360度から映す長回しと、それに続いて軍用トラックの長回しが登場します。 樹という悠久の生命の象徴ともいえる自然をじっくり映した後で、無機質な鉄の道具を登場させ、両者のコントラストが嫌でも強調されることになるわけです。 そして、今度はトラック上の兵士たちが映し出されるのですが、そこにいるのは通常の戦争映画のような”戦闘機能としての兵士”ではなく、一人一人が苦悩し迷う人間・個人として描写されていきます。 このように、「樹→軍用トラック→人間」とじっくり描いてゆく映像シークエンスは見事という他はありませんね。観客の心には、この長回しの間、いろいろな想念がよぎることになるでしょう。 兵士たちは、ポルトガルの植民地のゲリラを鎮圧するためにアフリカへ派遣されてきたのですが、やがて中隊長のカプリタ少尉が「俺たちは、いったい何のために戦っているのか」とつぶやき、ポルトガルの過去の壮絶な戦いの歴史を語ってきかせます。 さて、このようにして始まるポルトガルの物語ですが、、四つの敗北の歴史が紹介されます。それぞれの物語にはそれぞれに意味があり、現在のポルトガルの苦悩や閉塞感へと繋がっています。 ====== 私事で数日ネットを離れますので、残念ですが続きは週明けになります。

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