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他人の期待に応えない]―
若い頃は頑張れたのに肉体的にも精神的にも持たなくなった……。人生中盤に差し掛かると、こんな衰えを感じる自分を受け入れられず、心に不調を訴える人が多くいる。 「そんな人は“死”をイメージすると、心が晴やかになります」とは、『
他人の期待に応えない』(SBクリエイティブ)を上梓したがん患者専門の精神科医である清水研氏。なぜ死生観を持つことが人生を豊かにするのか。いかにして恐怖の対象である「死」と向き合えばいいのか? 同氏に、その方法を聞いた。
ミドルエイジクライシスの喪失と向き合うコツ
「自分は健康そのもので、がんはもちろん病気になりそうもないから、喪失感なんて持てそうもない」 こんな感想を持たれた方も少なくないのではないでしょうか? がん患者やご遺族の場合、非常に「分かりやすい」形で、自分が大切なものを失ってしまったことに気がつきます。 一方、ミドルエイジクライシスの場合、自信や楽観的な見通しは徐々に失っていくのですが、失ってしまったこと自体に気がつかないのです。そして、その結果として、漠然とした不安やむなしさを無意識のうちに抱え込んでしまっているのです。 つまり、全ての人が喪失とは無縁ではないのです。がん患者さんは失ったことに気がつきやすく、ミドルエイジクライシスはそうではない。それだけの違いでしかないとも言えますが、大きな違いかもしれません。
今、この瞬間が輝きだす
なので、ミドルエイジクライシスの場合は、意識的に喪失と向き合うことがレジリエンスを育み、「折れない心」を作るカギとなるのです。 コツは幾つかありますが、「ミドルエイジクライシスの元となる“幻想”を早く手放す方向に意識を向ける」ということがヒントになります。これはすなわち自分の老いや死を直視することでもあります。 一見つらいことに聞こえるかもしれませんが、この現実を直視することは、「今日1日」への見方が変わり、もしかしたら今生きているこの瞬間が少し輝いて見えるかもしれません。 人生100年時代。いつまでも元気で生きられるような楽観的なイメージを流布するこの言葉は口当たりはいいですが、そう信じ込んでいると落差に苦しむこともあります。2016年のデータでは、日本人が通常の日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」の平均値は、男性が約72歳、女性が約75歳ですので、現実的にはもっと老いや病を実感する時期は早く来る可能性が高いわけです。
死のイメージを大切にする
また、私自身は将来と過去、2つの「死」にまつわるイメージを意識するようにしています。「将来の死」に関するイメージとは、臨終を前にして、ベッドから動けなくなって天井を見つめている日々のことで、いつかはわかりませんが、私はその日が必ず来るだろうと思っています。 そして、あえてその時が1年後であると仮定して考えてみるようにします。1年後にベッドに居る自分から、今の自分を振り返って見たら、体が自由で何でもできることをとてもうらやましく思えるでしょう。そうすると、退屈に思えた今日1日が違って見えます。公園の木漏れ日の中を散策する時間も、友人と語り合っている時間も、風呂の中で心地よく湯船につかっている時間も、とってもいとおしく感じてくるのです。 自分の中にある「過去の死」のイメージも大切にしています。私は学生時代に自動車の無謀運転で、一歩間違えれば死んでしまっていたようなことが実際にありました。 思い出すだけでも身の毛がよだつような記憶なのですが、でもその時のことが頭に浮かんだときはしばしその記憶と向き合い、私もあそこで死んでいたのかもしれないな、などと考えるようにしています。 そうすると、心が凍り付いてしまう記憶が去っていった後に、今生きていること、時間が与られていることをしみじみと感じ、温かい感覚に包まれます。皆さんの体験の中でも、「もしあのときこうだったら命に関わっていたかもしれないな」というものがあれば、その記憶を大切にしてください。最初はつらいかもしれませんが、私のように、味わってみるのも1つの方法でしょう。 将来と過去の死のイメージを大切にすることにより、「人生には終わりがあるし、それは突然やってくるかもしれない」ことを意識することにつながります。これらのことは、「自分はいつまでも元気で頑張り続けられる」という“幻想”を打ち砕く方向に働いてくれます。
「死」との向き合い方
「自らの死を直視する」ことは、今まで死について考えることを避けていた方にとっては怖いことかもしれません。しかし、「死について考えないようにする」というやり方は、死の恐怖に対応する第1段階です。表面的で応急処置のような方法なので、それほど死の問題に直面していないときにのみ有効で、病気になるなどして、「死」について頻繁に考えざるを得なくなる状況になるとあまり役に立たなくなります。 がんなどの命に関わる病気に罹患したり、大切な人が亡くなったりする経験があると、「死」の問題と直面し、「考えないようにする」という表面的な対応から、次の段階の対応に進みます。そして、「死」という問題ときちんと向き合って考えるようになるのです。 年を取れば取るほど、「死」について頻繁に考える機会は増えてきますので、いつまでも避けていることはできません。そして、正面から「死」についてきちんと考えるようになると、それまでの忌み嫌われるような恐ろしいイメージが変わっていきます。「死と向き合うかはどう生きるかを考えること」ということは、多くの患者さんが教えてくれたことでした。 では、「死」に向き合う際に、何を考える必要があるのでしょうか。これについては過去の心理学領域の研究である程度明らかにされており、私は死にまつわる問題を3つに分類すると整理しやすいと思っています(下図「人が『死』を恐れるのはなぜか?」参照)。
「人が『死』を恐れるのはなぜか?」 1 死に至るまでの過程に対する恐怖 2 自分がいなくなることによって生じる現実的な問題 3 自分が消滅するという恐怖 === そして、この3種類の問題には、それぞれ対処の仕方があるのです。漠然としたままにすると、得体の知れない不安や恐怖を感じますが、死にまつわる問題をきちんと考えていく中で、次第に恐怖の形は変わっていき、さまざまな備えができることが分かっていきます。この3種類の問題への対処は、今始めても早すぎることはありません。
死に至るまでの苦しみへの対策を知っておく
1番目の「死に至るまでの過程に対する恐怖」は、「がんは進行すると痛いとか言われているけれど、死ぬまでにどんな苦しみが待っているのだろうか?」という、肉体的苦痛に対する懸念のことです。 がんなどの病気に罹患した方の多くがこのことを心配され、「死」そのものよりも、そこに至るまで苦しむことの方が心配、という方はたくさんいらっしゃいます。 がんの場合、確かに以前は「壮絶な闘病生活が待っている」というイメージを強調するような報道、小説、映画などの作品が多くありましたので、一般の方が心配されるのも無理もないことだと思います。しかし、近年は状況がだいぶ変わってきた印象があります。 例えば私は病棟を毎日回診で訪れますが、患者さんとご家族が和やかに談笑されている姿にあちらこちらで出会います。看護師や医師など医療者もにこやかで、病棟の雰囲気に重苦しい印象はありません。もちろん、中にはさまざまな苦しみを抱えておられて精神的に追い詰められている方もいらっしゃるかもしれませんが、医療の現場を見ていただくと、「壮絶な闘病生活」という印象とはだいぶ異なることを実感していただけると思います。 では、死に至るまでの苦しみは、実際にはどのようなものなのでしょうか。例えば、国立がん研究センターが一般の方向けに作成しているがん情報サービスの中に、がんの療養と緩ケアに関する項目があり、がんに伴う体の痛みの多くは、鎮痛薬を適切に使うことで癒やすことができること、現在は苦痛を和らげるための技術(緩和医療)が進歩していてさまざまなサポートが得られることが具体的に書かれております。 そして、近年はがん以外の疾患でも体のつらさを和らげるための緩和医療が受けられる様になっています。最近は在宅医療も発展が著しく、病気になっても家で療養生活が送れるように、医療や介護の体制が取られつつあります。
中年期にもエンディングノートは必要?
2番目の「自分がいなくなることによって生じる現実的な問題」はどういうことかというと、「自分が死ぬと家族が経済的に困るのではないか?」、「仕事を完成しないままに死ぬ時がやってきてしまうがどうしようか?」など、さまざまな社会的な問題に関することです。 最近は、「終活」という言葉が一般的になり、多くの方がエンディングノートを作成し、亡くなるまでに整理しなければならないことに取り組むようになりました。「終活」に取り組むのは歳を超えてからの方が多いですが、中年期を越えたら、おぼろげながらでもいいので、エンディングノートを作成してもよいと思います。エンディングノートを書くことにより、過去を振り返り、今を見つめ、これからの将来を考えます。 そして、どういう自分でありたいかを確認することになるのです。この問題と取り組むことで、その人が先送りにしていた課題に取り組むようになります。例えば、過去仲たがいしていてその後連絡を絶っていた家族や友人との和解をするなど、長年心に刺さっていたとげを、やっと抜こうとする方もいらっしゃいます。
死後の世界へのイメージは?
3番目の「自分が消滅するという恐怖」については、魂の死と言ったりします。死んだらどうなるのか? 科学や精神医学が説明できることではないので、私は正直なところ、答えを知りません。いろいろな方の死に対する考えをお聴きすると、魂は不滅で、別の世があると考える人、もう一度、現世に生まれ変わると思う人、死んだら自分が消滅すると考える人など、さまざまです。 その人が死後の世界をどう捉えるかによって、現世をどう生きるかという姿勢が異なってくると思います。 死んだら自分の存在は消滅するのか。消滅したら感覚もないと思いますが、それってどんな感じなのか、死んだ人から話を聴くことはできないし、そうなったら怖くないのか、と考えてしまうかもしれません。 精神科医のアーヴィン・ヤーロムは「死んだ後の自分のことを心配するのならば、なんで生まれてくる前の自分のことを心配しないんだ?」ということを言っています。確かに、生まれてくる前の苦しみは少なくとも今は意識されませんから、死んだ後のことも心配しなくてもよいということかもしれません。 死んだら自分の存在が無になると思っている方だけではなく、おぼろげなイメージも含め、死後の世界が存在するという感覚を持っていらっしゃる方がいらっしゃいます。 また、死後の世界が存在しないとしても、自分の思いは大切な人の心の中に宿っていることを意識し、自分の存在は形を変えて生き続けると捉えられ、「自分が消滅するという恐怖」が和らぐとおっしゃる方もいらっしゃいます。 いずれにしろ、「死生観」を持つ、つまり、自分の人生観にきちんと「死」を位置づけることは、「自分は成長し続けられる」という“幻想”から離れ、現実を直視した上で人生後半を豊かに生きるために、必要なことだと思います。
1971年生まれ。精神科医・医学博士。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。
『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』
がん患者4000人以上に寄り添ってきた精神科医による、肩の荷を下ろし人生を豊かにするレッスン。
◆◆他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン / 清水研/著 / SBクリエイティブ
私は心に棘が刺さったままです。エンディングノートを書いても刺さること多しです。
・唯一納得できたことは実母をやっと許せる気になり和解し自分が優しくなれたこと。
・後は今も昔も変らないペットへの愛情。
今は2つのみです。 後は全部心に刺さってます。どんなに折れて曲がった考えに改めようとして
もがけがもがくほど余計に刺さります。だから頭から振り払いたいです。
私の人生において野犬に襲われ噛まれたので噛まれなかったことにしようと、記憶消しにもう必死です。
神様が居たら出会って不愉快な思いをさせられ苦しめられた人物のすべての者を記憶から消し去ってほしいです。
昔SF映画で宇宙人が経ちなれないほどの心の傷を負った地球人に、その不快な体験した記憶全部を抹殺消去さし、ある地球人を救った場面を観たことあります。
私も それをしてほしいです。
上記の内容記事は今 若い人の自殺が増える中、ある意味の共通、良い意味でのイメージのポシティブ変革に役に立てればと思いUPしました。
自分は他人の期待に応えるというタイプではなく自分への期待を自分で創作してしまい、それに応えなくちゃいけないと思う性質です。
つまり、ここで言う
他人とは自分の事です。
別の自分が、もう一人居て 別の自分が、いろいろと要望してきます。
それが時々怖ろしく厳しいキツイものに感じてしまい苦悩すること、よくあります。
別の自分に恐怖を感じているというのが現状かもしれません。
別の自分を克服するには。 その課題を今後も追求していきたいと思います。