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カテゴリ:家族
我が職場では風邪が流行りつつあり、部下2名が午後から病休… したがって、週末だというのに飲み会のお誘いも無く、定時で帰宅しました お気に入りの皆様には訪問をサボっているにも関わらず、 連日の温かいコメント、どうもありがとうございますm(__)m 父の死と数日間の出来事を記録し、 自分自身にケジメをつけるためもう少し続けますが、どうぞお付き合いください(u_u) 昨日の日記の続きです。今日は長いです。 記憶を手繰り寄せながら書きます 11月20日(金) 午前6時頃に起床 午前7時半頃に実家の近くにおり、生前…父の発病後は特に両親を気遣ってくれていた 父の従姉妹が朝食を差し入れてくれました しかし、ご近所や会社関係の方が早くから弔問に訪れるため、 せっかくの差し入れをゆっくりと口にする暇も無く 慌ただしく時間が過ぎていきました。 そういう状況下でまだやらなければならないことが沢山ありました 1 葬儀のお手伝いいただける方を決めること(未だ決まっていませんでした) 2 葬儀の規模・見積もり等。香典返し等々の決定などの葬儀社との打ち合わせ 3 父の経歴を整理して、葬儀委員長さんに事前に渡すこと 4 父の戒名のこと 5 遠方からの親戚の宿泊先の手配 ………等々、数え上げればまだまだキリがありません 午前9時過ぎ頃からカミさんや義妹や叔母らが手伝いに来たので、 弔問客の対応はもっぱら継母と彼女たちに任せ、 まずは午前中に葬儀に手伝っていただける方の手配をしようと 電話等々で依頼・調整を行いました あまり人様には迷惑をかけたくなかったので、 香料等々の記録関係や食事などの賄いをA葬斎場へ依頼し、 受付等々その他を結果的に、町内会、自分の職場と 父のB会社の関係者多数にお願いしました。 その合間やそれ以降にもA葬儀社との打ち合わせです A葬儀社には新館と本館(旧館)があり、本館の方が多くの収容人員がありますが、 本館は告別式の22日に別の法要が入っているとのことで、 一応前日に新館を押さえておきました しかし、実母が死亡した際(約20年前)は、この本館で葬儀を行っており、 会場に入りきれないほど方々に会葬いただきました 自分としては、父も数々の役職を辞して長いことから、 新館で何とかなるだろうと踏んでおりましたが、 実母の葬儀を覚えている親類や会社関係者からいろいろと言われ また折門会葬いただいた方が会場から溢れるようでは失礼にあたると…迷いもありました そんな時にA葬儀社の方で社長から『本館で予定されていた法要を新館に移したので、 父の葬儀は本館で…』との話になり、会場が決まりました また祭壇、お棺、装束、香典返し、火葬場への霊柩車や親族のバス 葬儀の間の親類やお手伝いの方々食事関係、繰上法要の際の忌中引、 お手伝いの方々へのお礼などなどを次々と決めていきました A葬儀社の担当の方は、一応カタログで標準的なものを示してくれるのですが、 継母とも相談しながら、どれもこれもが標準以上のものになりました 自分としては赤字をかなり心配しておりましたが(小者です) 継母は『多くの方々にお世話になり、こういうことで街にお金が回り恩返しになる』と、 継母の意外な気風の良さを初めて知りました 見積もりが出来上がり、○百万円… 取りあえず何とかなるかな…と思いつつも、 それでも自分はまだその上かかるお寺への謝礼や院号料のことも心配しておりました あっという間に午後になり、自分は弔問客の相手を一切せずに、 父の書斎に籠り、時々弟やカミさんを指示しながらも、 葬儀委員長さんへ渡す父の経歴や思い出を整理して綴っておりました 故人の出生、経歴、病気、エピソード等々……… 父は13歳の時に先の戦争で父(祖父です)を亡くし、 当時上級学校への進学を志していましたが、 長男で下に幼い弟妹がいたために進学を断念して、 家族を養うために15歳で勤めに出て、大変な苦労をしました。 (父から聞いたことはありませんが、幼少の頃、実母に良く聞かされました) 野球が好きで、大の巨人フアンであったこと。 (当時から自分の贔屓のチームとは違ったため合いませんでした) 後輩の面倒見がよく、無類の麻雀好きであったこと。 (自分が幼い時は夜遅くまで我が家ではジャラジャラと牌の音が鳴り響いておりました。 当時の父を知る人たちは、父の腕前をプロ級と言います。) 再婚後は継母と国内外への旅行や孫達との温泉旅行を楽しんでいたこと。 孫の進学を楽しみにしていたこと。 …などを綴りました この間にもA葬儀社からは メモリアル用の父の写真を数十枚用意するように依頼されておりました。 (この時には何に使うかは全然分っていませんでした…) このように自分が手が回らないほど忙しくしていた時に、弟はというと… 弟には親類の宿泊先の手配や葬儀の間の各食事や忌中引き、 バスの乗車人数等々、専ら数を固めることを一切任せていました。 時々書斎に顔を出す弟は葬儀のために「床屋に行ってこなければ…」とホザクので、 プチっと切れた自分は 「継母でさえ父の付き添いに何カ月も美容室も行っていないというのに、 お前は何を考えているのか…各数は固めたのか やることがないなら写真でも選んでおけ」と怒鳴りつけていました 夕方、父の経歴を葬儀委員長さん宅に届け、ようやく一息つくことができました。 しかし、その後も弔問客の対応……… それでも自分の職場から上司や同僚・部下たちが弔問に訪れてくれた時は、 素直にうれしかった みんな、遠い~所を本当にありがとうm(__)m せっかくの三連休にもかかわらず、 翌日からの葬儀をお手伝いをいただく職場の人達に改めて頭を下げました。 弔問客が途切れた午後8時過ぎに、お寺の住職がお参りに来ました 読経の後にしばし懇談 この住職は自分の幼少時、当時の実家がこのお寺の側にあり、 年令も一つ先輩で、幼少より一緒に遊んだいわば幼馴染の方です 住職は小学生の頃に父(当時の住職)母を相次いで亡くし、 檀家さんたちが今の住職が一人前になるまでお寺を支えました。 父の葬儀では、住職と二人の伴僧の3人でお願いしていたのですが、 住職の方で、お布施はいらないからと (最終的にはそうもいかないだろうと払いましたが…) 伴僧を3人で手配し、既にA葬儀社と打合せ済みとのことでした。 また父は生前、このお寺の檀家総代として尽力したことから、 住職は「恩返しのために最高の戒名を付ける院号料もいらない」と言ってくださいました。 (…この言葉に親類の中には感心・感動した人もいたようでしたが、 自分は「そうは言われても、やっぱり払わないとなぁ~ タダほど高いものは無いからなぁ~」と意外と冷静に思っておりました…) こうしてようやくほぼ葬儀の準備が整いました カミさんや義妹も午後9時過ぎには帰り、自分と弟は昨夜に続いて実家に泊まりです。 この日は、弟と夜中まで焼酎を飲み交わし、 父の遺体の隣室で床に就いたのは午前2時を回っておりました 翌22日からもまだまだ忙しい日々が続きますが、今日はこの辺で… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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