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本との関係記

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2005/02/11
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カテゴリ:読み直し
やや書き方を変えて


 老人の館は冬は尖り夏はとろける。青年たちが老人に物語を読み聞かせている間も、家具たちはこっそり耳を傾けており、ある家具は興奮し、ある家具は欠伸を噛み殺している。時折洩れてくるそれらの微かな物音は老人以外の人間には耳障りである。語り部となった青年は、強い西日が部屋に射し込み始める頃には窓ガラスを圧するほど肥大した声を張り上げて、家具や空気のざわめきに対抗している。老人は語り部の声の大きくなり始めには少し怪訝な表情を見せるが、すぐにその大きさにも慣れて、耳の遠さを適度に調節して物語りを受け取る。
 老人扱いされれば耳は音から遠ざかる。一人でいる時の老人の耳には、部屋の無生物たちの囁きだけではなく、窓の外で落ちる葉の悲鳴も土の中の幼虫の寝息も届く。
 老人の館を訪ねてくる者は誰もが彼を140歳なりに扱い、彼を老人に仕立て上げているが、彼自身は、その気になれば自分はまだどこにでも行けるし何でもやれると思っている。村野孝二、西田全、中梶百一、楢山孝介、笹尾佐久美といった若い連中が彼に読み聞かせてくれる物語には時折彼等自身の物語も混じっていて、どこまで信用したらいいものか彼は分からないが、いつかその中に自分も巻き込んでくれはしないかと密かに期待してもいる。
「読み直し」を始めて新しい物語を受け取らなくなってから、露骨に態度を変化させたのは西田全である。そもそも読書習慣のなかった彼にとって、老人に物語を読み聞かせることは苦痛であったからだ。次々に自分の中に物語を積み重ねない彼の中には、以前読んだ時の記憶もあまり劣化せず残っていたから、新鮮な発見も少なくて退屈なのだ。


「やたらと日本通のアイルランド人が出てくるけど、彼には何か意味があるのかな」西田はまだ大きすぎる声で老人に話しかける。
――あれは『真名仮名の記』だったかな。書のマニアが主人公の話、ジムはあれ似てるな。彼も鳥越進介も、どちらも郡山勉に似すぎている。結局全員、煙草屋に坐り続ける沼崎にあてられたようになって具合を悪くし、入院と失踪、癌、帰国といずれも悲惨な道を辿る。郡山、沼崎、鳥越、ジム、みんな夢を見るところも共通している。ジムの夢のとこを読んでくれ。



 ジムは夢を見ていた。南宋の馬麟「秉燭夜遊図」の前に立っている。絵は小さいが、その美しい幻想の世界に、もしかなうことならば踏み入って永遠に住んでいたい、と思った。海棠の花咲く道に燭台が並び、六角堂の階段へと続いて、坐っているあるじが照らし出されている。翼のように延びた長い廊下からも灯が洩れ、背景の山の上に月が出ている。幸福に過ぎると、人は泣くものだが、ジムは夢を見ながら本当に泣いていた。何もかも放擲して、その絵の中へと逃亡し、現世をあちらに見て暮らしたかった。

『松葉酒』より



――「その絵の中へと逃亡し、現世をあちらに見て暮らしたかった」そこ、どうだ?
「まるっきり沼崎の生活ってわけだ。煙草屋の番台という額縁の中で、外を眺めて一日中過ごし、誰とも関わりを持とうよしない生活」
――ジムも、あるいは郡山も鳥越も、皆、そんな風に生きてみたいと心の片隅では思いつつもやらなかった人生を、一人歩んでいる見本がいる。そいつは臭くて惨めで陰鬱な煙草屋だ。ジムがかつてその中に住むことを夢想した書画の中に居たのは、生きながら死骸になって腐り始めているような男だったのだから、具合悪くなるのも仕方ない。
「俺にはそもそもそんな生活に憧れがないからわからんけど」
――とここまで考えてみると、郡山の失踪の理由が少し見えてきた。
「薬を飲んで入院した時点までは、他の二人とあまり変わらないよな」
――郡山が入院している最中、書きかけだった絵本作成の参考になるものはないかと、娘のきよが郡山のスケッチブックを見ていて、新しいキャラクターを発見するくだりがあるだろ。


三歳くらい、と覚しき男の子のスケッチで一杯になっている。進介が撮ってくるスナップからおこしたものではない。精微に描きこまれていて、日常のいろんな場面が切実な愛情の眼でとらえられている。彩色、編集すれば充分に使えそうだった。清美はつかのま発見ををよろこんで、郡山に断るまえにきよ、進介、ジムに見せた。
「郡山さん、新キャラクターつくったみたいですね」

『松葉酒』より



「この子、郡山の隠し子じゃないの。後に出てくる、郡山失踪の時に一緒に居た女性との。だって」



「その子に、アボという名をつけたいね」
「そう?愛称として自然ね」
「いや、本名なんだ」
「どんな字をあてるの?」
「カタカナだよ」
「意味は?」
「無いよ」
 郡山は初めて顔をこちらに向けた。今度は、きよが黙った。暫くして言った。
「わたしたちは、お話の話、という話をしているわけね」

『方百里雨雲』より



「きよが念を押して確かめたのはつまり、絵本に出てくるキャラクターの話じゃなくて、本当にいる子供のことのように聞こえたからだろう」
――そう急くな。その読みが当たってたとしても、あまり気にするな。結論から言っていいかな。
「どうぞ」
――絵だよ。
「え?」
――ジムとは逆の方向だよ。郡山は絵の中に子供を閉じ込めていた。絵本作家なんだから当然なんだけれど。紙の上に描いた子供は物語の中でどれだけはしゃぎまわり暴れ回ろうとも、本を閉じればそこで彼の世界は終わる。次に開かれた時に始まるのは彼の新しい未来ではなくて、同じ物語の繰り返しでしかない。
「そこから子供を解放させたかった」
――そうかもしれないし、そうでないかもしれない。薬を使ってスケッチブックから彼の子供を幻覚の上で飛び立たせることに失敗したから、次に本当に旅に出て会いに行った。
「郡山が錯乱してスナックにやってきた時の台詞の中に『死びとの花畑をかきわけ、千里を歩いて来た』というのがあるけど、その読みだと出てくる言葉じゃない気もするけど」
――そりゃもちろん、全て憶測でしかないよ。でも、一つの物語を無理やりにでも読み込んでいくことで、別の物語も派生してくるってのは、面白いことだろ。
「俺にはちょっと面倒臭い。じゃあ帰るよ」

 そそくさと老人の館を後にする西田は今日も別の女を抱いて寝るつもりだ。館に来る青年のうち、誰よりも物語に興味がなく、誰よりも軽薄な彼のことを、老人は一番気に入っていた。





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Last updated  2012/04/07 09:21:27 PM
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