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2023/08/15
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身持ちの悪いだらしない家系だ。てっきり草刈正雄はGIと尻軽日本女との子だと思っていた。一応籍は入れGIである父親は朝鮮戦争に駆り出され非業の死を遂げ、母子家庭で苦労して育ったと。



ところが、実は生きていて朝鮮戦争後に米国に帰国していた。本国に妻(子)が居るにも拘わらず、日本駐留の際体の良い現地妻として母親と生活をし、草刈は私生児として育ったという事か​?​
戦後占領下の日本は戦利品のような尻軽な日本女とGIとの落とし子が多い。鬼っ子と呼ばれ此の世に生まれる事が憚れる存在即ち鬼胎だ。
幾ら草刈正雄が芸能人で名を成したからと言っても呆れて物が言えない。

 芸能界の人間の生い立ちと言うのは一般家系とは考えられない得体の知れない人間が多い事を再認識した。
​芸事と言うクリエイティブな世界は恵まれた家庭(医師など)か貧困
家庭か、極端な育ちが多い言を改めて認識した次第だ。

【補遺】
​上記述は番組視聴​前​の所見であるが、視聴後も此の気の晴れない
言い知れぬ不快感を払拭出来なかった。再述するがNHKの【ファミリーストーリー】を滅多に観ない。この番組に出演する芸能人は今でこそ大衆
に認知され、長い歳月を経て一定の評価を獲た人物である。
然し其の出自、育ちというのは到底一般社会では容認されるような生き方をして来た人間では無い。草刈正雄のような合いの子/混血を始め、反社会的組織の家系(笑い系タレントJ.N,俳優N.T、非差別◯◯民の出自(R. M生前カミングアウトした。その息子K.S)等々知るだけでも十指に余る。真っ当な人間には嫌悪感を覚える事が多い人物だ。
 バスの車掌をしていた草刈の母親スエ子は米兵ロバート.トーラーの体
の良い現地妻である。10代でGIの私生児を身籠り齢二十歳で草刈正雄を
生んでいる。流石に世間体もあって籍を入れていなかった。
父母は知り合ってから間もなく築城基地近くにアパートを借りて同棲を
開始する。ミリタリー.パーソネル.レコードを見るとトーラーは築城基地
勤務の任期満了後除隊、翌日に再入隊の手続を繰り返している。
元防衛大教授の源田孝氏によればスエ子との同棲生活を継続したかった
と推される。
その後トーラーは定期異動で極東空軍羽田基地へ赴任した。スエ子は
築城のバス車掌を辞め東京で同棲生活を継続し、草刈正雄を身籠る。
ところが鬼畜ロバート.トーラーはスエ子を残し突然米国へ帰国して
仕舞った。

将来幹部候補生に成る為に陸軍へ編入すべく米国へ帰国したのである。
自己都合で身重のスエ子と胎児の草刈正雄を残し本国へ逃亡したのが
実際の話であり、朝鮮戦争での戦死は真っ赤な大嘘である。
スエ子は捨てられたに過ぎない。スエ子は成す術もなく身寄りのない
東京から郷里行橋に出戻り、小学校時代の旧友を頼り数か月の居候生活
をする。此処でスエ子は家族、親戚には極秘裏に私生児草刈正雄を産み
落としたのだ。
出産後スエ子は生まれたばかりの草刈を連れ渡米しようと試みた。
然し、トーラーの姉に依るとトーラーは22歳と未だ若く経済力が無く
周りも面倒を看きれない。何より敵国ジャップの女との間に出来た
私生児草刈正雄はトーラー家にとっては厄介者に過ぎない。
僅かなお金を送金し連絡を絶ってしまったのだ。其の間にトーラーは
西ドイツへ渡り従軍した。実に自己中心的で卑劣極まりない男とその
家族であり、当に人間の屑、鬼畜外道である。

一方、スエ子は僅かな手切れ金を手に身寄りもない小倉へ移住する。
当時の日本でGIとの間の子、まして私生児である草刈正雄は疎まれる
存在だ。親、親戚も人目を憚り、表立って援助でいなかった状況だった
らしい。そこでスエ子は郷里行橋で後ろ指をさされて生活するのを避け
小倉へ移住し親子二人の生活を始めたのである。

斯様な経緯でスエ子は父親ロバート.トーラーの話を捏造したのだ。
スエ子にもプライドは有っただろうし、何よりも世間体を考え周囲そして
草刈正雄には事実を知らせず戦死したと嘘を吐いていた。
こうする事により世間体を幾分保つことが出来、自身も悲劇の主人公を
演じる事が出来る。一生此れを貫き通した訳だ。無様な事極まりなく
愚かさ、卑劣さも加わり怒りを通り越し哀れに感じる女だ。



​​日本に滞在している時だけの都合の良い現地妻として母親スエ子を
弄んだ卑劣な毛唐GI父親ロバート.トーラー。そして無様に捨てられ
世間体、そして保身を謀り一生涯嘘を貫き通した母親スエ子が草刈正雄
のファミリーヒストリー、両親の実像である。

​➡​草刈正雄の家系図は母方スエ子の祖母、曾祖父、いとこを
 始めとする親戚は匿名で示され番組中に全く出て来ない。
 スエ子のいとこの女性は音声のみ出演している​📞​
 翌週に放送された伊藤蘭のファミリーヒストリーとは対照的である。

ロバート.トーラーは米国帰国後、アメリカ陸軍の一員として敗戦
間もない西ドイツへ渡る。そして其処で知り合ったドイツ人女性、
ヘルガ.ラサ―トと戻り結婚、除隊し商売を始めたと言う。
日本で現地妻スエ子に私生児を生ませて置きながら、其の後西ドイツで
引っ掛けた女性は正式に娶った訳だ。実に不誠実極まりない女たらしだ。
放送では触れていないが子供がいる可能性は高い。


此の胸糞悪さは欧米人の黄色人種に対する蔑視感が漂う【蝶々夫人】を彷彿させる。正常な神経の持ち主ならば噴飯ものだろう。草刈正雄は良くものこのこと米国の父親の故郷を尋ねたものだ。NHKはこんな事で航空券、宿泊料を負担するのか(後日 特番を企画しているらしい)。
草刈には恥というか矜持のようなものが無いのだろうか。此処迄非道な事をした父親家族に会いに出向いてしまった。草刈も齢70歳、もう年だ。墓場へ行く前にどうしても自分のルーツを知りたいという欲求を理解出来ない訳ではない。
黄色人種蔑視感に更に戦後敗戦下の日本社会の歪みという闇の部分を
赤裸々に晒した悍ましい草刈正雄のルーツ、生い立ちのような出来事は
今後徐々に解消されるだろう。
占領下、朝鮮動乱期の日本の闇を表す鬼っ子草刈正雄の半生は同郷の
松本清張の小説のような話である。
















NHK ファミリーストーリー
草刈正雄〜初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは〜
初回放送日: 2023年8月14日
生まれた時から母と二人だった草刈正雄。父は日本に駐留したアメリカ兵だが顔も知らなかった。母は「朝鮮戦争で死んだ、写真は焼いた」と多くを語らず死去。制作班は正雄の記憶にあった「ロバートトーラ」という人物を全米で探すが調査は難航を極める。半年後ようやく親族が判明。なんと父は朝鮮戦争から生還していた。父の容姿や性格、母との出会いも明らかに。「なぜ父は母のもとを去ったのか」父の姉が70年ごしの秘密を告白。

草刈正雄「朝鮮戦争で戦死した」はずの父が10年前まで生きていた 衝撃の事実に涙「長い間の謎がすべてとけた」
ORICON NEWS 2023 0814
俳優の草刈正雄(70)が、きょう14日放送のNHK『ファミリーヒストリー』(後7:30)に出演する。生まれた時から母子家庭で育ち、父は日本に滞在していたアメリカ兵で、母からはずっと「朝鮮戦争で戦死した」と聞かされ、写真さえ見たことがなかった。多くを語らぬまま母が亡くなって13年、番組への出演を通じて、父を知ろうと決心したところ、半年以上の取材で、実は父は朝鮮戦争から生還し、10年前まで生きていたという衝撃の事実が判明する。
 取材を開始したのは去年夏。正雄によると父の名前は「ロバート・トーラ」。しかしスペルがわからないという。同じ発音でもいくつものスペルがあるため、取材は難航を極めるが、ある追加情報が決め手となり、ノースカロライナに住む父の親族にたどり着く。正雄はNHKのスタジオでアメリカのロケ映像を見て、初めて父の顔写真と対面する。名前は「ロバート・H・トーラー」。伯母やいとこの存在とともに、父が朝鮮戦争から生還していたという驚きの事実を知る。
 今回の取材で、ロバートは福岡の築城空軍基地に駐留していたことが判明。母スエ子と偶然出会い、恋に落ちたと思われる。新しい命も授かり、幸せな将来を思い描いていたスエ子だったが、ある時から2人は別々の人生を歩むことになる。
 その背景をロバートの姉、97歳のジャニタが初めて語る。さまざまな事情が絡み合い、スエ子との別れを選んだロバート。実はジャニタにも、2人の別れに責任を感じる理由があるという。
 一方のスエ子は、正雄をひとりで育てると決意。アメリカ人と日本人との間に生まれた子供への偏見が根強い時代、何度か心中を考えるほど苦しみながらも、正雄を守り抜き、まっすぐな人間に育てようとする。初めて知る事実の連続に、ゲストの正雄もMCの今田耕司も言葉を失う。それでも正雄は「父と母が愛し合っていたことがわかってよかった」「長い間の謎がすべてとけた」と、涙を流す。
 スタジオでは、97歳の伯母ジャニタから託された手紙が代読される。涙を拭きながら聞いた正雄は、数日後、大きな決断をする。そして番組は驚きのラストシーンで締めくくられる。

​​​Wikipedia​​​
草刈 正雄(くさかり まさお[2]、1952年〈昭和27年〉9月5日[2][3] - )は、日本の俳優、モデル、歌手、司会者、タレント。​​

福岡県行橋市生まれ、同県小倉市(現・北九州市)出身[2][4]。身長185cm、血液型はO型[3]。左利き[5]。自身の個人事務所であるバービィオフィス所属[6]。
​経歴​
​父親はアメリカ合衆国ノースカロライナ州出身で、福岡県築上郡八津田村(現在の築上町)の築城基地に派遣されていた米兵のロバート・H・トーラー(Robert Hunter Tolar)[7]。母親は同県京都郡行橋町(現在の行橋市)でバス車掌として働いていた草刈スエ子。2人は恋仲となり築城や東京で一緒に生活していたが、スエ子が正雄を身ごもった後にロバートが帰国し、スエ子は行橋へ帰郷して正雄を出産した(詳細は後述)。​
​​​米軍兵と日本人女性の間に生まれた子供が増え​​あいの子​​​などと差別されることも多かった当時、スエ子は地元のしがらみのない土地を求めて正雄と共に小倉市(現在の北九州市小倉北区)へ移住、仕事を掛け持ちし正雄を育てる。子供時代は「バービー」という愛称で呼ばれていた[8]。貧しい家計を少しでも楽にしようと、小学生より新聞配達と牛乳配達の仕事を掛け持ちして登校した[9][10]。少年時代は現在の小倉北区昭和町、北九州市立中島小学校界隈で過ごし、小倉祇園太鼓にも参加、また母が好きだったこともあり、東映の時代劇映画を頻繁に見ていたという[8]。1964年頃に、北九州市立中島小学校学芸会で「火の山」の主役を演じる。時代設定は古代日本で、後に演じる「火の鳥」や「卑弥呼」を思わせる 舞台装束だった。​​​
 中学卒業後は世界文化社の代理店で本のセールス、小倉の文具店の配達員などで働きながら福岡県立小倉西高等学校の定時制に通い[9]、軟式野球部のピッチャー[注釈 1]として全国大会に出場している[11]。アルバイト先のスナックのマスターが「正雄は見てくれがいいから、モデルになったほうが稼げるかもしれないよ」と、東京のモデル事務所を紹介[8]、たまたま福岡市で開催されたファッションショーを観に行った際スカウトされ[2][9]、17歳で上京して東京都立青山高等学校定時制に転校[12]、卒業。福岡時代はアルバイトなどで月給1万9千円だった収入は上京後月5万円に増えたという。上京後約2年で地元から母スエ子を東京に呼び寄せた[8]。
 1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなり[9]、MG5のCMで団次郎の弟分としてデビューし売れっ子モデルとなる[13]。デビュー当初から甘いルックスと軽快な語り口で人気を得て、2年余りのファッションモデルを務めた後、俳優へ転向する[9]。
 1974年に東宝の専属となり[9]、『卑弥呼』で映画デビューし[2][9]、同年映画『沖田総司』にも出演、製作者協会新人賞を受賞[9][注釈 2]。
1975年にはエランドール賞・新人賞を受賞。
1976年には大河ドラマ『風と雲と虹と』に出演、大河ドラマ初出演となった。
 1977年のテレビドラマ『華麗なる刑事』でロサンゼルス帰りの凄腕刑事という主人公に扮し、同ドラマでは挿入歌『センチメンタル・シティー』も歌い、オリコン年間77位のヒットとなった[14][信頼性要検証]。20代半ばで人気は絶頂となり[9]、また同年にはマルベル堂のプロマイド年間ランキング俳優部門1位を獲得した[15]。
 俳優としての転機は、千葉真一と共演した1978年のテレビドラマ『十字路』だった[16]。おしゃべりで朗らかなセールスマンを演じた草刈はコメディに目覚め、「自分で“ちょっとズッコケた感じ”を作るのが楽しくなった」と語っている[16][17]。映画『汚れた英雄』・テレビドラマ『華麗なる刑事』・『プロハンター』などのダンディな正統派二枚目から[16]、『十字路』での軽妙でコミカルなキャラクター、『真田太平記』では名将・真田幸村と、さまざまな役柄で主役を演じ、市川崑・深作欣二・今村昌平らの映画にも出演した。特に市川崑は、初出演での寡黙な射手役から次作では軽躁な押しかけ探偵助手役と両極端な役を振り、君はこっち(三枚目)が向いているよとアドヴァイスしたという。
 1990年代以降は『花の乱』『毛利元就』『古畑任三郎』などの悪役、『イグアナの娘』『南くんの恋人』でのヒロインの父親役など、脇に周りつつも新たな境地を開拓し、演技の幅を広げている。『汚れた英雄』のレースシーン撮影ではスタントマンとして現役レーサー・平忠彦が用意されていたが、ライディングシーンの一部は実際に草刈がレーシングマシン『TZ500』を走行させた。
 草刈の認知度の高さは、筑水キャニコムが2001年グッドデザイン賞を受賞した商品・草刈機に「まさお」と命名したことからも窺える。
2004年のテレビドラマ「ケータイ刑事 銭形シリーズ」では、『華麗なる刑事』の役柄と同じ「ロス」こと高村一平の役名のままで出演。
2007年映画『0093 女王陛下の草刈正雄』に主演、実の娘である草刈麻有と共演した。
NHK北九州放送局が開局80周年を迎えた2011年は、アナログテレビジョン放送が完全終了することもあり、『美の壺』のレギュラーでもあった草刈を主役に起用した独自のキャンペーンドラマが制作され[注釈 3]、同年2月14日に放送を開始した。また、名字の「草刈」にあやかり、マキタの充電式草刈機のCMにも出演している(娘の紅蘭と共演)。
 2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では真田昌幸を演じた[注釈 4]。演じるにあたり三谷幸喜からは、丹波さんを超えましょうと言われ[18][信頼性要検証]、草刈は真田昌幸の役を丹波から預かったように感じ、また時折丹波がスタジオに来て、「よくやってるじゃないか。」と言われたように感じたと話した[19]。また同ドラマの「おのおの方、抜かりなく」という台詞が話題になった[20]。『真田丸』で再び人気が再燃し[21][22]、2017年には『真田丸』からの写真などを盛り込んだ、初の写真集『草刈正雄ファーストフォトブック』が発売された[21]。
2017年、上田市の観光プレジデントに就任。
2018年、出身地である北九州市の市制55周年アンバサダーに就任[8]。
2019年NHKの朝ドラ『なつぞら』に出演し、ヒロインに大きな影響を与えるキャラクターを演じ、その演技が感動と話題を集めた[23][24][25]。
​人物​
父のロバート・H・トーラーはアメリカ合衆国ノースカロライナ州ター・ヒール(英語版)出身で、朝鮮戦争中の1951年、当時アメリカ軍が接収していた福岡県築上郡八津田村(現在の築上町)の築城基地にアメリカ空軍の兵士(軍内の郵便配達業務担当)として派遣され、一旦大韓民国金浦基地への派遣後に築城基地に戻っていた[2][9]。ロバートはスエ子と知り合い同棲。その後ロバートの任地が羽田基地となった際にスエ子も同行するが、暫く後に離別しロバートは帰国。ロバートとの子を妊娠していたスエ子は行橋へ帰郷し、幼馴染の家に身を寄せ正雄を産んだ。
理由は不明だが、スエ子は正雄に「父は正雄を妊娠していた最中に朝鮮戦争で戦死した」と伝えていて、長い間多くのプロフィールでもそのように紹介されていた[2][9][26]。しかし、NHK『ファミリーヒストリー』(2023年8月14日初回放送)の調査で、実は前述の通り、戦死せずに日本に生還後、アメリカに帰国。その後アメリカ陸軍所属となり西ドイツへ赴任し、西ドイツから帰国後に別の女性と結婚し2013年までアメリカで生存していたことが判明した[27]。ロバートの「死後」[注釈 5]、スエ子がロバートの写真を全部処分したため、父の顔はずっと知らなかった[10]。『ファミリーヒストリー』を通じて、ロバートの写真と初めて対面した[29]のは、正雄が古稀を迎えた後のことである。同番組が正雄の許可を得て調査を依頼したDNA検査を通じて血縁が判明した、7人兄弟の末子だった父の兄姉のうち唯一存命の伯母(取材当時97歳)とその息子(草刈の従兄)ら親族と対面するため、2023年7月にアメリカ合衆国ノースカロライナ州を訪問した。伯母によれば、スエ子はロバートから聞いていたトーラー家の住所宛に生まれたばかりの正雄の写真を同封した手紙を送付。受け取ったロバートの母や姉らは正雄の写真を見て一目でロバートの息子であることを確信したものの、この時点で既にロバートは西ドイツに赴任していた。当時のトーラー家は郵便局員だったロバートの父(正雄の祖父)・ゼブロンが、ロバートがまだ胎児の時にペラグラに罹患し亡くなって以来、自宅向かいにある学校の教師に部屋を貸す細々とした家賃収入のみが頼りで経済的に困窮していた。またトーラー家が住んでいる地域はロバートの息子とはいえ第二次世界大戦での敵国だった日本人の血を引く正雄やスエ子を受け入れられる環境ではない[注釈 6]などの問題があり、ロバートの別の姉がそれらの事情を手紙に書き、いくばくかの金を同封してスエ子に送った。
 母方・草刈家の先祖は江戸時代末期には当時の豊前国行橋の農家の分家だったが、草刈の曽祖父の代に創業した蒲鉾・てんぷら(魚のすり身揚げ)[注釈 7]の製造販売店が一時栄えたものの曽祖父は早逝し廃業、その娘だった草刈の祖母は嫁に行き草刈の母・スエ子を産むが、夫の酒乱と女癖の悪さで離婚、女手一つでスエ子を育てたという事情もあり、スエ子は正雄を妊娠後ロバートに去られ帰郷したものの、「あいの子」への偏見も強いこともあり実家を頼れず、青果店に嫁入りしていた幼馴染の家の2階の部屋を間借りして正雄を産んだ。その後自分の母同様ひとり親となったスエ子は、生活の苦しさから何度か乳児の正雄を連れ列車に飛び込み心中しようと考えたものの、正雄の顔を見て思いとどまり、その後は正雄を厳しく育て、時には悪戯した正雄を野球のバットを持って追いかけ回した事があったという。ある日正雄が友人の悪童ら5人と映画館に忍び込み映画をただ見していたところを見つかり、散り散りに逃げた中正雄だけが映画館主に捕まり事務所で説教され、警官、教師、親のうち誰に通報するかと聞かれた際、「親だけは勘弁してください」と言ったほど怖かったとのこと。一方で正雄は、中学時代には同じく母子家庭の同級生と早朝から通常の配達員のおよそ倍の量の新聞を配達し家計を助けようとするなど、女手一つで正雄を育て経済的に苦しい母を幼少期から助けようとしていた。モデル業を始めたのも、更にはスカウトされ上京したのも、全ては金のため、経済的困窮から抜け出すためだったという。
 1977年のテレビドラマ『華麗なる刑事』で共演したモデルの大塚悦子と9年の交際の後、1988年12月31日に結婚。1男2女の父となる。映画『汚れた英雄』でライバル役で共演した勝野洋と飲んでいるとき、勝野に結婚を勧められ、その場で電話でプロポーズし翌日婚姻届を提出した。婚姻届の保証人は勝野だった。勝野とはモデル時代から40年来の親友で「(勝野の)顔かたちがとにかく理想で大好き、話してみると中身も誠実そのものであこがれた」とのこと[30]。また、もう一人の親友として俳優の諏訪太朗を挙げている[31][32]。1978年には芸能人の所得番付で1位となった[33]。長女(第1子)の紅蘭はパーソナルトレーナーとしてブロスキーに所属、次女(第3子)の草刈麻有はかつてはプロダクション尾木に所属しており、現在はフリーランスで芸能活動を行っている。長男(第2子)は元ズットズレテルズボーカルのドカットカットとして音楽活動をしていたが、2015年2月14日、草刈の個人事務所として使用している東京都渋谷区のマンションの一室から転落する事故により、23歳で死去した[34][35]。
 少年時代に野球部員として活動したこともあり、西鉄ライオンズが故郷・福岡を本拠地にしていた当時は西鉄ファンだった。
 自ら「面倒くさがり」と自認しておりオフの日も「出不精でウチでゴロゴロ、ボーーっとしている」とインタビューで発言している[要出典]。最大の趣味はテニス[36] で、2016年3月から開始した公式ブログ[37] でもテニス姿のオフショットを掲載することがたびたびある[38][39]。



【再配信】自宅で突然亡くなった母に泣きながら…草刈正雄が明かす
「僕の原点は、母」

AERA dot.編集部 によるストーリー 2023 09 20 8:00
 NHK大河ドラマ「真田丸」、朝ドラ「なつぞら」と、大ヒットドラマに連続して出演し、その個性的な演技で強烈なインパクトを残した俳優・草刈正雄さん。今年、芸能生活50周年を迎えた草刈さんが著書『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)で明かした、亡き母への複雑な想いとは? 本書より一部を抜粋・再構成してお届けする(この記事は、2023年8月15日に放送され、好評を博したNHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」、「草刈正雄~初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは~」の再放送に合わせて再配信します。肩書、年齢等は2020年8月の配信時のまま)。
■母と僕と映画と
 原点は母だ──。歳を取るにつれて、そう思います。
 10年前に他界した母と僕のあいだには、いまだに言葉にするのが難しい距離がありました。互いに互いを遠くから気遣うような、そんな付かず離れずの感覚です。はたから見れば、仲のいい親子に見えたかもしれない。事実、そうでした。でも、お互いに本心をぶつけあってきたかといえば、必ずしもそうとはいえません。あのとき、あんなふうに言えばよかったんじゃないか。あの日だって、もっと違う接し方があったんじゃないか。いまでも練習問題は続いている。永遠の宿題です。
 母一人子一人の関係でした。父はアメリカの軍人で、朝鮮戦争で亡くなりました。福岡県の東、行橋(ゆくはし)で母は僕を産み、物心がついた頃には二人で小倉に住んでいました。
「バービィ!」
 チビの僕をこう呼ぶ母に、「ママ」と応えていた。小学校ではものすごくからかわれました。母に手紙を書くという授業で、「ママへ」と書いてしまったんです。当時、母親のことを「ママ」と呼ぶ子どもはいません。みんな、「お母さんへ」。でも、その日から急に変えられるものでもありません。母こそ「バービィ」は早々にやめて「マコちゃん」とか「マコ」と僕を呼んでいましたが、こちらは終生、そのまま。17歳で単身上京してから2年目に、東京に母を呼び寄せたんですが、その後も曖昧に「マァア、マァア」。僕に家庭ができたある時期は別々でしたが、後年は再び一緒に暮らしました。亡くなるまで、「マァア」は変えられませんでした。
 かといって、甘えられるような関係だったかといえばそうではありません。正反対です。相当、キツかった。気が強いという意味です。いまから思えば、父親がいなかった分、「父役」も背負っていたのでしょう、とにかく怖かった。
「あんた、なにしちょんね!」
 バットを持って追いかけてきたこともあります。「九州女」という言葉がありますが、それに男気が加わり、気の強さでは僕は足元にも及ばない。息子がグレてしまうのを恐れて、とにかく厳しい親でした。近所でワルさをして「親か警察か先生、どれを呼ぶか」と聞かれたとき、「おふくろだけはやめてください」と懇願したのをいまでもよく覚えています。
■「ごめんなさい」と「ありがとう」
 自宅の二階で母が突然亡くなったのは、2010年のことでした。脳梗塞でした。妻が異変に気づいて僕を呼んだときにはもう亡くなっていた。すがりついたとき、口をついて出たのが詫びの言葉でした。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね……。どこからこんなに涙が出てくるのか自分でもわからないほどに、声をあげて泣きました。
 本当はあのとき謝りたかったのかもしれません。二十歳前後の頃のことです。
 17歳で上京し、モデルの仕事を始めます。東京でモデルをすれば、報酬は手取りで「月5万円」だと聞いたからです。当時の大卒初任給よりも多かったはずで、中学3年間は新聞配達、定時制の高校時代は朝の4時までスナックで働いて得ていたバイト代とは雲泥の差でした。
 1970年。人伝手で事務所に所属してから3カ月程で、ラッキーなことに資生堂のテレビコマーシャルが決まりました。「MG5 BRAVAS」です。小倉にも放送されるのか、気になりましてね。やっと、母に胸を張れる。それからしばらくして、母を東京に呼び寄せたのです。
 小倉ではあんなに離れたかったのに、当時の心境というのは不思議なものです。しかも、慣れない生活が始まったばかりの母に、僕の態度はキツかった。仕事もまだ順調ではなく、母と二人きりになると、昔の思い出を責めたくなるときがありました。
 小さい頃からいつもほったらかしだったろ! 運動会だって、一緒に弁当を食べたことなんてなかったじゃないか! 口には出しません。でも、「愛情をかけてもらえ辛くあたってしまない親からは、はやく離れたい」と考えていた自分を蘇らせ、辛くあたってしまった。
 そんなある日、慣れない東京暮らしで弱気になっていたところもあったのでしょう、家に帰ると、飲めない酒を飲んでぽろぽろぽろぽろ一人で泣いている母がいました。おふくろにしてみれば、日用品の卸売店に勤めながらの必死の子育てだったと頭ではわかっていたのですが、当時の僕は、見て見ぬふりをしてしまいました。「ごめん」のひと言が言えなかったのです。
 1年ぐらいして、仕事が順調になりだしました。運よく、外人顔がモテはやされる時代の波に乗りました。家に帰ると、
「すごいね、すごいね、すごいね」
 あんたは、すごい、あんたはすごいよ。そうしっかり褒めてくれた母。それでも僕ははぐらかしてしまった。どうしたんだよ、おふくろ。おふくろらしくないじゃないか。気を遣ってるんじゃないのか──。そのときも言えなかったのです。ありがとう、と。
 思えば、チビの頃から小倉で言われていました。
「『ごめんなさい』と『ありがとう』は、素直に言えたほうがいいよ」
 そんな人になりなさいな。
 当時の思い出の写真があります。小学3年生のときのこと。二人で動物園に行って、おふくろが撮ってくれました。その写真を見ると、思い出す言葉がもうひとつあります。
「あんたと私は目がそっくりだよね」
 ああそうか、そっくりなのか。おふくろは俺をよく見ていたんだなあ。
 自分の目のなかに母を見ます。こうしていまも、守られているのです。

草刈正雄(くさかり・まさお)
1952年福岡県生まれ。69年デビュー。70年に資生堂のCMに起用され人気を博す。以後、俳優としても活動開始。74年に映画『卑弥呼』で映画デビュー。以来、『復活の日』『汚れた英雄』など数々の話題作に主演するほか、テレビドラマ、舞台でも幅広く活躍。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』や19年の連続テレビ小説『なつぞら』などでもさらに話題を集める。09年から教養バラエティ番組『美の壺』(NHK BSプレミアム)の2代目ナビゲーターを務め好評を博している。近刊に、『ありがとう!──僕の役者人生を語ろう』(世界文化社)





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最終更新日  2023/11/15 01:58:58 PM
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