気になる映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして」
映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件...そして」 自己責任批判から10年、28歳の伊藤めぐみ監督の視点 新聞でこの映画の公開の記事を見た。あのイラクでの日本人人質事件から、もう10年が経っているのだ。人質になった3人のうち二人が北海道出身で、事件が発生した時から他人事ではない気持ちで無事を祈りながらニュースを追っていた。しかし、次第に高まる「自己責任論」に対して違和感から怒りを感じ始め、このブログにも思いを綴っている。 (2004年4月の日記)思えばあの頃から、弱い立場の人を「大義」のもとで踏みつけてしまう風潮が始まったように感じている。それも、本当は自分が弱い立場であるのにも関わらず、「長いものに巻かれろ」から一歩進んで、長いもの(力のあるもの)を積極的に支持し迎合する、卑怯な人たちが増えてきているのではないか。いわゆる「ヘイトスピーチ」もそうであるし、ネットでの少数派の意見への執拗な非難もしかりである。あの時、ブログで人質の人達を応援することを書いた私のようなものにも、多少嫌がらせ的な書き込みもあったり、リンクしていた人の中にも「自作自演じゃないか」なんて書いていた人もいた。私は、怒りを抑えながら可能な限り冷静に書こうと心がけていたので、ひどいバッシングのトバッチリまではなかったけれど、「あなたたちは、政府のまわし者ですか?」と言ってやりたいことが何度もあった。政府というものは、弱い立場の国民を守ることが使命だと思っている。最近の風潮は、かつての「国体護持」のように、「国を守らなくては国民なんか守れない」との論法で、そのためには多少の犠牲もやむなしが、政府から始まりなぜか弱い立場の人まで是認してしまっている。あの時の高遠菜穂子さん今井紀明さんは、帰国後のひどいバッシングに一時は落ち込んだけれど、今でもそれぞれの立場で信念を曲げずに頑張っている。私は、彼らの姿に人間の持つ力強さを感じて、希望を抱くことができる。命をかけて勇気を奮い、弱い立場の人達のために頑張ろうとはしないものだけが、無責任な自己責任論を振りかざすのは、今も同じかそれ以上だ。理化学研究所の小保方論文に対するバッシングの根も同じだろう。強いものが自己保身で弱い立場の人に責任を負わせようとする空気を感じて、とても嫌な気持ちが続いている。若いということは未熟なことであり、失敗をするのが当たり前だ。その失敗を糧にさらなる飛躍へと導くのが、先に歩む者の仕事である。若い時には気付かなかったが、年を重ねたらかつての自分の未熟さに赤面し、その時に支えてくれたり導いてくれた人たちの存在に気づくことが多い。でも、それにも気付かず「自分の力と能力でここまできた」と思いあがった人が権威を持つと、本当に怖いことが起きてしまう。今の日本社会が、そんな基本的な謙虚さや、弱い人を盾にするという恥を知らなくなっているとするなら、「美しい日本」なんて言葉を吐くのは人として恥ずかしいばかりだけと思うのは、私だけではないだろうと思いたい。この映画、札幌のシアターキノで公開されている。ぜひ見たいのだけど、日程的に無理なようだ。次の機会を待ちたい。追記:2005年7月の日記で、今井さんがあの事件の後に書いた本について書いていた。 「ぼくがイラクへ行った理由(わけ)」今井紀明/著