第五回韓日カラオケ大会
SJC(ソウル日本人クラブ)主催の韓日カラオケ大会も今年で第五回を数えるようになった。例年のことだが、韓国人の応募が多いのに対し日本人の応募が極端に少ないということで、実行委員をつとめられているご近所の奥さんが困っていると聞いたので、歌うことの好きな僕はとにかく予選に出ることにした。この大会では日本人は韓国語の歌を、韓国人は日本語の歌を歌わなければならない。僕が歌える韓国語の歌は、「マンナム」「アシナヨ」「LOVEHOLIC」「アパート」くらいしかなく、昨年はアップテンポのこの「アパート」を歌ったがあまりにも付け焼き刃で歌詞もモニターの字面を追わなければ歌えない程度だったので当然落選。それで今年は、音域が広くて、オリジナルキイではさびの高音が出ないでボツる、バラードの帝王;チョソンモが歌った「アシナヨ」でいくことにした。「のど自慢」と違って予選でもキイ調整に応じてくださるので、キイを-4でお願いしたらまあ、サビも声が出た。歌詞は2箇所ほど間違えたけどこんなもんだろう。予選はこの前の土日と二日に亘って行われ、僕の番は日曜日の4時からだったのだけど、その前日の土曜日に「のど自慢」のおじいさんと3ヶ月ぶり?にお会いすることになって、いつもの老人福祉センターで待ち合わせをしたら、以前のカラオケ仲間の78才のめちゃくちゃ明るいおばあちゃん、厳格な江戸っ子日本語先生で75才の李先生にもつながり、あと人のいい会長さん、そのお友達も加わってみんなで食堂へ行った。実は、以前この仲間で3ヶ月に一度程度、みんなで食堂で昼食を食べてからカラオケに行き、午後4時くらいまで歌って解散というのをやっていたのだけど、端的に言うとのど自慢のおじいさん以外の人達がこの集まりに飽きてしまって自然に瓦解していた。そうなったことをのど自慢のおじいさんは誠にすまなそうに僕に言った。「でも、私と龍さんとはいつまでも友達ですから」と言いながら。だから前回はおじいさんとインチョンのK君と3人でしか会わなかったし、今回はK君が会社行事があったので僕と二人だけで会うつもりだったのが、おじいさんが唯一声を掛けた明るいおばあちゃんから更に会長さんや江戸っ子先生にもつながったのだ。みんなで食事をしてそれから韓日カラオケの予選を見に行った。話は戻るが会が瓦解してしまったのは、要は僕が飽きられてしまったのだ。このおじいさんたちやおばあさんは、戦争中日本にいたり、或いは釜山の国民学校で皇民教育を受けたひとたち。僕と話していても自然そのころの話になり、天照大神から代々続く天皇の名前を覚えたとか「朕思へらく云々」なんてのを覚えたとか、戦争前のあの時代には歌手○○の歌△△がはやって、なんて話の花が咲くのだが、残念ながら僕は歴史としてそういうことがあったという大まかなことは知っているが、「ああ、あの歌ですね。懐かしいなあ」とはどうしてもならない。世代が違いすぎる。でもあの時この方々が大日本帝国のために頑張ってくださったおかげで日本の今日もあることは痛感していて感謝の気持ちで一杯だし、僕がこの人達の間の糊になれるならば(この方々、同じような歴史を背負っていても決して一枚岩ではない様子なので)、それが嬉しいと思っていた。でも飽きられるのも理解できる。ただただ知識としてだけでもよく勉強して知っておかなかった自分が情けないだけだ。それで、前にメンターAさんにこれこれこういう会があって僕は飽きられちゃって残念ながらいい話相手にはなれないので、僕より少しこの方々に年が近くて、且つ歌も上手なAさんにご一緒頂ければありがたい、と申し上げてAさんからは一つ返事でご了解頂いていたので、のど自慢のおじいさん(僕にとってはこの方が友人であり、総元締め)に、今度Aさんという方をお連れしたいと言うと、すごく喜んでくださって早速今回久しぶりに(僕が)会った他のおじいさん、おばあさんにも話をして、その時はまたみんなで集まりましょう、と声をかけていた。そんなこんなで、何だか久しぶりのリユニオンができた気分でいい一日だった。のど自慢のおじいさんも「きょうは本当に愉快な日でした」と僕と同じ心持ちだったようだ。土曜日がそうなったおかげで日曜日の僕の予選の時にもこの方々が応援にきてくださった。人間、変わらぬ心で生きていれば一度離れた他人の心もまた呼び寄せることができるのだなあと思った。