酒井順子にまつわるシンクロニシティ
僕の大学時代の愛読雑誌は「ダカーポ」。そこにエッセイを掲載していたのが、先頃直木賞を受賞した姫野カオルコと、酒井順子。二人の鋭敏な感性と、ユーモア溢れる文章には敬意を抱いていた。二人とも結婚せずにきょうまで歩んで来られた。姫野カオルコの「初体験物語」というエッセイはおもしろい。あいうえお順に項目立てをし、初体験について記している。僕にとって印象的だったのは「キス」の項で、姫野さんは初キスは「お願いだからキスしてくださいな」と頼んで、5千円払っておっさんとしたのだそうな。姫野さん、大柄だけど見た目はきれいなので、当時そういう経験のなかった僕は、僕に一言いって頂ければ、お金なんていらないから喜んでキスさせて頂いたのに、と思ったものだった。酒井順子さんの文章は「ダカーポ」のエッセイでは読んでいたけど、単行本や文庫本を買って読んだことはなかった。3月に日本に一時帰国したとき、インドネシアに戻るための成田空港の書店で酒井順子「ユーミンの罪」(講談社現代新書)を見つけ、「あの感性豊かな酒井さんが僕も好きなユーミンを論じるのだから」とすぐに買って、7時間のジャカルタへの機内で読了した。ユーミンが時代の風を敏感に感じ取って唄にし、アルバムをつくり、それにいかに乗せられたか、ということが書いてある。「女性はそういうことになっていたのか」と、女性に疎い僕には大変勉強になった。ジャカルタに戻って、前に読んで内容をすっかり忘れている、立花隆・佐藤優「ぼくらの頭脳の鍛え方」(文春新書)を読み返していたら、佐藤優さんの推薦教養書として、酒井順子「負け犬の遠吠え」(講談社)が挙げられていた。曰く、「酒井順子氏の文章は、歯切れが良く、明晰であるとともにユーモアのセンスがある。三十歳以上、独身、子なしの女性は、全て負け犬で、それ以外の女性はすべて勝ち犬であるという定義を導入し、同一律・矛盾律・排中律を見事に駆使して完璧な論理を打ち立てる。論理とは何かを知るためにも重要な本」とある。それで、今回中学校の同窓会で私的一時帰国をした際、100円で中古文庫本を買った。その際、これで3回目の100円古本購入になる大前研一「50代からの選択〜ビジネスマンは人生の後半にどう備えるべきか」も買った。50過ぎたが鳴かず飛ばずの自分はどう生きたらよいかと思い、この本を買って読んで腑に落ち、「エッセンスは掴んだ」と、10円で売り払い、でもしばらくするとエッセンスも頭から飛んでしまったので、もう一度100円で買い、再度10円で売り、今回が3度目の正直。(今回は10円で売るつもりなし。忘れるたびに読み返す所存)この本を読むと、酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」に触れられている。曰く「独身のまま30代になった女性を『負け犬』と表現した『負け犬の遠吠え』(酒井順子著・講談社)という本が話題を呼んだが、あれも社会に出て10年後のひとつの結論と見るべきだ。10年かけて至った、成熟した女性の老成した諦観である、と僕は受け止めている。彼女たちは『はいはい、私は負け犬ですよ、それが何か?』と開き直った方が人生はハッピーになるということを計算の上で、『負け犬』を自称しているわけだし、男というものを見限りながら、その利用法を考えるところなどは、大経営者にも劣らぬ知恵だ。10年たっても社内で鳴かず飛ばずであるにもかかわらず、自分に何が足りないかが把握できないヤツや、『上司に言われたとおりにやってきたのに、なぜオレは仕事に恵まれないんだろう』とぼやいているヤツは、大経営者に学ぶのも結構だが、負け犬から学ぶべきことも大いにあるぞ、と言いたい。」こんなことが書かれているなんて、前に2回この本を買ったときには全く印象に残っていなかった。それが、畳み掛けるように「酒井順子」。シンクロニシティといわずなんといえよう。つまりは、僕にも「負け犬としての戦略をもってこれからを生きよ」という神様、或は守護霊からのお導きかなあ、それとも、姫野カオルコのあとの直木賞は酒井順子だというお告げか、どちらかだとしか思えない。「ユーミンの罪」も実にいいし、「負け犬の遠吠え」はまだ最初の3章くらいしか読んでいないけどいいです。