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カテゴリ:ワンコの話
本日は戦後70年の節目となる終戦の日です。 しばたろの両親は戦争体験世代でして祖父は実際に戦地へ行っています。 終戦の日、父は10歳母は6歳でして、 ラジオから昭和天皇の玉音放送をリアルタイムで聞いたそうです。 父の実家は静岡県裾野市と言う場所でして自衛隊の駐屯地がある近くです。 上空にはB29が飛び交い、空襲警報に何度も肝を冷やしたそうです。 その裾野市の近くに沼津市と言う場所がありまして、 ここは軍事用の機材を多く生産していた場所の為に空襲にあい焼け野原となりました。 その様子は父が住む裾野市から当時は見えたそうで真っ赤な大きな花火の様だったと言っています。 *いまでも沼津市の海岸付近には軍事用の大穴がいくつも存在しています 母の父、しばたろの祖父は農家の長男でありながら赤紙が来てしまい、 シナ海へ衛生兵として出兵し流れ弾を左わき腹にうけてしまいました。 家族は祖父が死んだとの知らせを受け、まだ祖母のお腹の中にいたしばたろの母を子供のいない親戚に養子に出したそうです。 (当時は跡取りの長男が居たため女の子は不要とされた) しかし祖父は一命を取り留め運よく帰ってくることが出来ました。 帰宅すると生まれてるはずの娘の姿はなく、養子に出された事を聞くと激怒して取り戻したそうです。 祖父の脇腹には弾丸が通過した傷跡があるのですが一度足りとも孫たちには見せませんでした。 戦時中は食料不足で農家だった父と母は食べるものは困らなかったですが畑の盗難が多かったそうです。 スイカなど作るとあっという間に盗まれますが祖父はいつも 「みんな食べ物がないんだ、許してやれ」と言っていたそうです。 ただ生きるのが必死、それが当たり前の時代だったんですね、 今の時代で考えられますか?明日は食べるものがあるだろうか? 明日は生き延びる事が出来るだろうか?なんて しばたろ達はなんと豊かで幸せな時代に生まれたことでしょうか。 よく戦争を知らない子供達なんて言いますがしばたろはそれが当たり前だと思っています。 戦争なんて体験しては知るなんてことはあってはならないのです。 しかし戦争体験国、被爆国など悲しい歴史があるこの国に生まれてきて ただああ、そんな事があったねもイカンと思うのです。 やはり悲劇を伝え、戦争なんてロクなもんじゃないとこれからの人に伝えねばと思うわけです。 午後零時の戦没者への黙祷と同時に未来への平和を祈るしばたろでございました。 難しい話はいいからテーブルの上のオヤツ頂戴よ!!! posted by (C)しばたろ ホントに平和が一番ですよ(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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