カテゴリ:心のノート
最近、「しあわせ」を書く時、かまわず「幸せ」って書いていたけど・・・ 随分昔、高校の頃、辞書を引いた時「仕合わせ」って字を見て「しあわせ」って・・・昔は「仕合わせ」って書いたんだくらいに思っていた頃があった。 不思議だよね???~~~w 若い頃は、辞書見て書いてあることには「どうしてだろう?」って思っても、調べたりしない。何にも疑問にはならないんだから~~~w で~~ずっと経ってから、「あれ??なんで『仕合わせ』なの?」って思ったのねw その時のことなんだけど・・・・ 人の人生なんて短いじゃない?その短い人生をとにかく楽しくって充実している幸せなものにしたいって願うのは常套な話で、人に生まれれば気持ちとしては当然な思いっていうか情なんだよぉ~~ねw まぁ~~wそれぞれに生きがいを持ってその中で苦労や辛さがあっても、暮らしていければいいんでしょうけど・・・(問題はそこだったんだよw) そうでないと生きるって、面白くなくなちゃうものかもしれないかなって思うのよ。 人がその人生をどう生きるかは、もちろんその人の意志とか夢とか希望とか努力とかが関わってくるものだろうけど・・・・サ。 そう~~昔は、人生は一つの巡り合わせとして大きな力に支配されていたんだというのね。これが「仕合わせ」の本当の意味だったのよ。 「仕合わせ」というのは、「幸」「不幸」に関係なく、「巡り合わせ」がどうだったか、という意味だったの。 (ただ一般的には、「幸せ」といったら、「巡り合わせが良かった」という意味に遣われているので混乱なきように。) ある状況そして世間には必ず巡り合わせる良い事・悪い事のチャンスがある・・・それをひっくるめて「仕合わせ」という~~~w その「仕合わせ」をどうするか、どう思うか、どう発展させるかは、私たち次第なんだろう~~「運」「不運」はその結果、決まる。 ん~~むw「仕合わせ」は、 その場の「幸」だけを指す言葉じゃなかったんだなぁ~~。苦労や安堵の時も、「仕合わせ」・・・巡り合わせなんだ。 その「仕合わせ」の結果が「運」「不運」どちらかであったにしてもいいってわけなんだ。 「仕合わせ」・・・もう一度、考えてみたくなった言葉だw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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