カテゴリ:私の思考
「恋(こい)」って、 【此火】・【小陽】・【濃緋】だったりと数多くの組み合わせがあって、その中に【孤悲(こい)】っていうのがあってネ、詩人の高橋睦郎氏は次の文を添えているの。 恋する二人は孤りなる悲しみを二つ寄せたものに過ぎぬか。 愛する二人は一人と一人・・・・? この【孤悲(こい)】は『万葉集』における「恋」の表記としては、最も多く使われていたんです。用例としては30首にもなるんですが、この表記からいろんな考えができて面白いんですよw面白いというのは、興味深いっていう意味なんですが・・・w 相手が目の前にいないのを淋しく思い、求め慕う心である。 人についていうことの外に花や鳥、自然の景物についていうことも多い。 といわれています。「求め慕う心」の意味と音の共通によって、語源を「乞ひ」と結び付けようとする説もあるんですが・・・・。それは、今は二語が古代音韻において同音ではなく、また、「恋ふ」と「乞ふ」は活用が違うため今はかえりみられないんだそうです。「恋」への人々の感じ方が「孤悲」の表記を選ばせたのは、恋の感情を意識化したものなんだろうなって思います。「恋」とは、恋愛感情とそれに伴う諸々を広く含むものではなく、対象と共存・共生することを希求しながら、その思いが果たせぬ時の悲しみを指すのだそうです。 『万葉集』の巻11 2390 恋するに死にするものにあらませば 我が身はちたび死にかえらまし など、万葉の恋において喜びよりも悲しみ、充足・達成より挫折・後悔・絶望・・・そして死と、悲観的展望のもとに歌われているようです。 これは、後世にも同じように、「恋の重荷」「恋の山路」「恋の闇」などとほとんどが暗い表現、重苦しさを伴うものだったんです。 『源氏物語玉の小櫛』において、本居宣長は人の感情における「恋」を 人の情の感ずること、恋にまさるはなし。 さて恋については、そのさまに従ひて、憂き事も悲しき事も、 恨めしい事も腹立たしき事も、をかしき事もうれしき事もあるわざにて、 さまざまに人の感ずる筋は、おほかた、恋の中にとり具したり。 と述べ、人間の感情は、「恋」によってさまざまに劇的に変化がおこる。その時人は「物のあはれ」を知り、「心」を持つに至る、というのです。 どうでしょうか?? 恋心って私たち人間にとってとても大切な感情であり、人を成長させてくれるものだと思うのですが・・・・ いろんなものに恋をして欲しいと思います。 そして、「心」を持って生きていきたいですよねw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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