カテゴリ:花
紫陽花は、青い花が集まって咲くさまを表した花なんですが、その青の花が変化することから花言葉は、「移り気」「浮気」「冷酷」「自慢家」「変節(成り行きによって意義を変える)」なんていわれているんです。 一方で、花には女性にまつわる話も多くあります。例えば、幕末の長崎のオランダ商館に来ていたシーボルトが日本に来て愛した「お滝さん」に因んで、大輪で美しい紫陽花の品種に「オタクサ」と名づけたと聞きます。もう一つの花言葉に「辛抱強い愛情、元気な女性」「謙虚」なんてあるのは、「お滝さん」からのイメージかしらなんて思います。 紫陽花の学名は、ギリシャ語のhydrangeaで、水と容器・盤の造成語、果物や形や大量の水を欲しがることからきたと言われています。これはシーボルトがつけたものより早くに付けられていた為、シーボルトのつけたものは採用されなかったといいます。 「紫陽花」の表記は中国の白楽天の詩が原典だとしています。しかし、日本で一千年以上前の平安中期、930年代に源順(911~983)【平安中期歌人、学者、36歌仙の一人、梨壷の五人の一人として『後撰集』の撰集に当たった人、『万葉集訓釈(古点)』のことに従った人、著に『倭名類聚鈔』、家集に『順集』があります】が著した『倭名類聚鈔』では、日本ではじめて紫陽花について「白氏文集律詩に 紫陽花 和名安豆佐為(あずさい)」と記されることになったんです。 でも、本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の白楽天(はくらくてん)が命名した別の花のことで、以来ずっと間違った表記のまま現在にまで及んでしまったのです。 因みに、中国ではこの現在私たちが呼ぶ紫陽花を「八仙花」と呼ぶんだそうです。 中国の友人にいつも聞こう聞こうと思いながら・・・雑談ばかりをして聞けないのですが・・・今度、しっかり聞こうと思っていますので、詳細はまた次回にしたいです。 まぁ~~この間違った表記は江戸時代の植物の本や牧野富太郎氏などのよって指摘されてはいるものの、、、、一千年以上にわたって呼ばれ続けている「紫陽花」は、現在の私たちの見ている「紫陽花」として慣れ親しまれているってことなんでしょうねw 紫陽花の原産地は日本で、万葉の時代から親しまれてきた花は、中国を経て、18世紀の終わりのイギリスにその姿を現し、改良をされたとか・・・・ 今は改良された「紫陽花」がさらに改良され「セイヨウアジサイ」「ハイランジャー」などと私たちの目に映っていることでしょう・・・ 『万葉集』では橘諸兄(たちばなのもろえ)が 安治佐為(あぢさゐ)の 八重咲く如く弥(や)つ代にをいませ我が背子(せこ見つつ偲ばむ と呼んでいます。また俳句では、芭蕉、一茶、子規が次のように詠んでいます。 紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の別座敷 (松尾芭蕉) 紫陽花の 末一色(すえひといろ)となりにけり (小林一茶) 紫陽花や はなだにかはるきのふけふ (正岡子規) この時期、元気な「紫陽花」くん・・・七色に輝いておくれ~~~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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