「たどり着いたらいつも雨降り」 吉田拓郎
このところラブソングばかり続いたので、今日はそうでないのを選んでみた。この歌は、モップスのバージョンの方が好きだという人がいるかもしれない。僕の復刻盤は、とりあえず拓郎のものしかないので、拓郎を聞きながら日記を書いている。若い頃は、人生は疲れ果てることばかりで、いつも土砂降りの中を歩いているようなものだと思っていた。たまに晴れ間が見えてきても、それはつかの間の嵐の前の静けさとでも言おうか、いつまでもほっとしていられるような感じはしなかった。人生は、自分の希望したとおりには行かないで、挫折と失望の連続のような感じがした。こんな若い頃の気分にぴったりだったのが、不条理の哲学の実存主義だった。生きるということは自分の自由にならない。かなりの部分運命的なものが支配している。それなら、死ぬことくらい自分の自由に出来るだろうかなどということを考えていたこともある。生きることに価値を見いだせないなら、死ぬ瞬間くらいは、満足できる時と所が欲しいものだと思っていた。そんな気分には、この歌の歌詞はぴったりの雰囲気を持っているのに、拓郎の歌声は決して、ここでピリオドを打ってしまえというような気分にはならない不思議さを持っていた。特別応援してくれている訳じゃないのに、「まあ、ちょっと待ってみろよ、人生なんてそんなものかもしれないぜ」と呼びかけているような感じがしてきた。年を重ねてくると、ある種のあきらめというか悟りのようなものが芽生えてくる。運命を受け入れてもいいじゃないか、というような感じだろうか。疲れ果てていたら休めばいい。土砂降りだったら、雨がやむまで寝ていようか、という感じだ。人生はそんなことの繰り返しかもしれない。でも、だからおもしろいのかもしれない。雨が全然降っていなかったら、その時が人生のピリオドの時なのかもしれない。今この曲を聴くと、そんな思いが浮かんできた。