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沖縄久米島 グランババの農園から

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久米島通!本間孝武… 琉球一美しい島さん
2024.03.17
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3月17日(日) 旧暦2月8日 六輝は「先負」

ピタンガの花は全て散ってしまった事でしょう。
 農園もしばらく見ないうちに荒れているかもしれません。植物も感情を感じ取れるでしょうから、ほおっておかれて怒っているかもしれません。多分「捨てられた~😢」と思い・・・でも、捨てた訳ではないのよ。まだもう少し待っていてほしいだけ・・・・・。
 
 今回、神様はとんでもない試練を突き付けてきました。

 私と同居してくれている娘が病気を発症してしまったのです。残念ながら生きる確率の低い病気です。2月からのこの間、検査の結果が分かるまで、恐ろしく長い時間でした。
 この3週間は、正直どう過ごしたのかわかりません。
 どうすべきかわからぬままに、上の娘にも内地から来てもらい、医師の告げる結果を聞きました。
 娘に「お母さん泣かないでよ」と言われながら、医師から余命を告げられた時は、心が凍り付きましたが、当の娘は「良かった。今すぐじゃない」と云いました。
 私は、娘と同じ病気で母を亡くしましたから、その時看病を手伝ってくれた娘たちも、おおよその結果を想像していたのです。母は病気の発症から死に至るまでたった3か月しかありませんでした。
 それがとても怖かったのです。その病名が「成人T細胞白血病」であることを知っていましたから。

 ただ、あの時と違う事が二つありました。一つは母のように急性ではなかった事。もう一つは医学が進み、「骨髄移植」をすれば、延命できる可能性があるという事です。それは私にとって大きな光でした。
 残念ながら沖縄では琉球大学でしか対応できず、まず今は無理な状態だと言われ、担当の先生には、内地に身寄りがいるのなら、向こうの大きな病院で治療しながら、専門の病院に転院することを勧められました。
  
 上の娘が情報を探し始めて、娘婿もいろいろと手伝ってくれているのに、私が落ち込んでいる場合ではありません。当の本人も含め二人の娘は、しっかり状況を把握して前へ進もうとしているのに、私が泣いてばかりいる訳にはいかないのです。事実は変えられないのですから、未来を変えていかなければいけません。

 泣くのを止めました。母親の私が心を乱しては、今後の難局はのりこえられません。まず自分がしっかりしなくては・・・。
 今やっと冷静に受け止める事ができ、自分のできる事をやって行こうと決めました。

 農園に行くのも忘れてしまっていましたが、いつだったか、無農薬・無肥料の協生農法で作った野菜が、命を育む野菜、細胞を生き返らせる野菜になって欲しいと思ったことがありました。
 なぜだか思い出してしまいました。いつかそういう野菜を作りたいです。





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最終更新日  2024.03.20 20:24:56
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