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テーマ:スピリチュアル(3203)
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2015年7月24日、仏教伝道シンポジウムにおいて花園大学教授 佐々木閑氏の講演を聞いてきました。題して「仏教における科学と信仰」という難しいタイトルに魅かれて参加してきました。 見える世界での法則性を追求していく科学と、現象世界を因果という法則で解いていく仏教の接点を探る大変高度の内容であった。 科学の世界では法則を見つけだすことによって、さらなる法則を見出すことになっていく中で、現実観察によって次第に修正されてきていた。物質世界の真の姿を追い求めて論理思考を繰り返すうちに、神の視点を否応なく放棄させられてきている。一方仏教の方は、科学的世界観の一般化により、宗教の教義は希薄化していくなかで、通俗的「こころ教」へと収束していく流れがあるが、反動としても原理主義は多様化している。 新興宗教、在来宗派も現代社会の価値観に沿った形で解釈しなおし、社会への適合性を増大させていくためには、普遍的キーワード「いのち」「こころ」「生きる」を使うことで世間受けをよくしていくようになってきた。こころ教とはスピリチュアルを指す。 その一例をあげれば、東本願寺親鸞御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を挙げられた。 いのちがあなたを生きている、ってインパクトありますよね。ちょっと日常を離れた言葉であって、にわかには仏教とは結びつかない、それでいてとても普遍的な響きをもっている。よくわからないけど、琴線に触れる。・・・・否定も肯定もしにくいような、真理のような、次元を超えた言葉のような、いろいろな要素を併せ持った、まさに世相をあわせ呑んだキャッチフレーズであります。(どうもプロが作ったものだとの、噂話もでましたが・・・) ここには視点の主体は私やあなたではなく、いのちであるわけです。 観察者によって、波となったり光となったりするという、量子論を重ね合わせるとそこにも主体は人間ではないことに気づきます。科学と宗教がとても近づいてきているのを肌で感じられませんか、、。 人間の作り出す世界観は、きっと大昔からぐるぐる回っている(出発点が到達点でもある)のかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.07.29 14:57:56
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