|
カテゴリ:野球史
最終回にします。田村洋三さんが著した「沖縄の島守 内務官僚かく戦えり」についての話です。 . 現在でも,ウクライナ,パレスチナ,イスラエル他で紛争が続いています。太平洋戦争の時の沖縄と同じような状況があるかもしれないと考えると胸が痛みます。 . 島田叡知事の壕内の様子を沖縄戦を生き抜いた方が書き残しています。 ある娘さんが両手に水バケツを提げて壕の奥の方へ歩いていると,島田知事が見えたそうです。娘さんが引き返そうとすると,島田知事は「重たいだろう。さあ通りなさい」と言って引き返し,道を譲ったそうです。このときのことを 「之は陰惨な戦乱の巷で,人間の浅ましさを見せつけられたものでなければわからないかもしれない」 と書いています。 平和な時代に道を譲った話ではありません。胸を打つ話です。 . 当時の警察部長・荒井退造さんの長男,荒井紀雄さんが著書の中で次のように述べています。 「沖縄県の官民は日本全土を背にして敵の前に素手で立ち塞がり,その置かれた立場においてベストを尽くしたのである。“皇国の安泰"を念じて……それは無駄にならなかったのであろうか。彼らの守った日本は彼らの死に値する日本になったであろうか。彼らは『世のため,人のために』戦った。しかし,,今の大方の日本人の価値観は,『カネのため,自分のため』に左右されているのではないだろうか」 歴史上,沖縄は「琉球王国」であり,日本ではありませんでした。当時は確かに日本であったかもしれませんが,理不尽であるように思います。日本人は沖縄の歴史に目を背けてはいけません。 . 壕内に閉じ込められた避難民の話です。 「座して死を待つよりはと意を決して,曹長に『女,子供だけでも出して頂きたい』と交渉した。曹長は『出たい奴は出せ。後から軽機で撃ってやる』と頑として応じず,なおも『貴様たちは,それでも日本人か』と怒鳴りつけた。その時曹長が放った一言‥『泥を食ってでも生きろ』を,『終生忘れられない非人間的な暴言』と悔しがった」 米軍が避難民を救出した時の話です。 「アメリカの将校がやって来て,片言の日本語で話しかけました。『下ニ日本ノ兵隊イマスカ?』大勢の年寄りや母親が口々に『たくさんいる,たくさんいる』と答えました。すると,そのアメリカ将校は『日本ノ兵隊生カシマスカ殺シマスカ?』ときいたのです。『殺せ!殺せ』が一斉に,すかさず出た答えでした。皆が憎んだのはアメリカ兵より,日本兵だったのです。私も憎かった。しかし,日本人の口から,友軍の兵隊を『殺せ!殺せ!』という言葉が,敵兵に対して放たれる恐ろしさに気づいて,呆然としました」 . 著者の田村さんは次のように書いています。 「壕を奪おうとした日本兵が,村民と避難民八人を日本刀で斬殺する惨事もあった。戦争は人を狂気にする」 . 「沖縄の島守」の著者,田村洋三さんの文章には大きな「怒り」を感じます。 この本の通りであるなら,島田叡知事は稀に見る傑出した人物です。この当時のような極限状況の中で,あれだけ気配りができる人間がいるとは思えません。 野球界出身のスポーツマンが残した数々のエピソードを我々は忘れてはいけません。 . 木津川俊彦 投稿は必ず氏名と居住地(またはチーム名)を記載して下さい。 匿名での投稿は個人攻撃や誹謗中傷につながるのでご理解願います。 意見を述べるなら堂々と名乗りましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.30 08:10:18
コメント(0) | コメントを書く
[野球史] カテゴリの最新記事
|