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カテゴリ:その他 拙者の趣味
前回の続き,阿川弘之さんが著した「山本五十六」の話です。 . 山本五十六長官は郷里長岡の偉人,河井継之助さんを尊敬していたそうです。「山本五十六」にもしばしばその話が出てきます。 . 「河井先生の小千谷行きの時,西軍に一人の西郷がいたら,長岡藩を賊軍の汚名から免れさせ,長岡を兵火から救うことが出来たろうに」 と山本長官はしばしば人に語っていたそうです。 長岡藩は戊辰戦争当初,中立の立場であったとされています。戦争反対の立場を取る山本長官と河井継之助さんが重なります。 . 同書では,長岡堅正寺の橋本前厳禅師が山本長官のことを 「正体のつかめない人間,ふざける時にはいくらでもふざけるし,一方質実剛健,愛想無しで,底の知れないという,長岡人の典型のような男で,突然ひょいとあんな人物は出て来るものではない。長岡藩が,三百年かかって最後に作り出した人間であろう」 と述べています。 少々びっくりしてしまう表現です。 . 同書には次のような記述もありました。 「『朝敵』という観念はこの時分(昭和2年前後の話だそうです)未だ完全には消滅していなかった。会津の方でも薩長,殊に長州閥に対する反感は相当なもので,旧士族の間では,当時はおろかこんにちなお『官軍』という言葉を使わない。古い人になると官軍のことを逆に賊軍と呼ぶそうだが,一般的には『東軍』『西軍』と言っている」 このことが山本長官の考え方に影響を与えていたのは間違いないようです。 また 「概して山本五十六という人は,上に悪く下によかったと言われている」 とも書いています。 . 仙台の話も出てきました。 仙台市での道路の舗装に陸軍が反対したそうですが,その理由は「馬の蹄がいたみやすい」ということだったという話です。陸軍は徹底した精神主義であり,科学技術,機械化,近代化を軽んじていました。「奥羽越列藩同盟」に対する差別もあったかもしれません。 . 次の話にも驚きました。 「山本は大尉時代,蜜柑を一度に四十七個食って盲腸炎になったことがあった。その時,手術を受けるのに,彼が麻酔をかけないでやってほしいと主張し,あとで,何故そんなことをしたのかと聞く人に,『切腹するとき,どのくらい痛いか,試してみたんだ』と言ったという話がある」 . 興味深い人物です。 私は戊辰戦争から太平洋戦争に続く流れとその悲劇を感じます。 . . . 話は変わって 5月24日に読売ジャイアンツの戸郷翔征が対阪神タイガース戦で無安打無得点試合を達成しました。 おめでとうございます。 水を差すようですが,河北新報の紙面に一言。 各打者の詳しい打撃内容,つまりボックスコアが見たいと思いました。 地元楽天ゴールデンイーグルスの試合を詳しく載せることも必要かもしれませんが,年に一度あるかないかの快記録の試合なので,詳しく報じて欲しいと思いました。 . 木津川俊彦 投稿は必ず氏名と居住地(またはチーム名)を記載して下さい。 匿名での投稿は個人攻撃や誹謗中傷につながるのでご理解願います。 意見を述べるなら堂々と名乗りましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.25 08:43:54
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