ここのところ、「読み・書き・計算」ということばが、にわかに注目されるようになった。
学力低下が憂慮され、学力の向上を読み書き計算にもとめようとする学校現場の一部の教師たちが、ここに期待をよせているからだろう。
読み書き計算は、読み書きソロバンから生まれたことばだと推察される。
江戸時代の庶民教育で、日常的な生活に必要とされた基本的な能力が「読み・書き・ソロバン」だった。これらの教育は、おおくのばあい寺子屋でおこなわれ たが、すべての庶民の子女がこのような機会を与えられたわけではない。したがって、最低水準の教育ではなかった。同時に、教育本来の目的ではなく、生きる ための道具としてさずけられたと考えられる。
中略
市川良先生は、進学塾にかよっている子どもたちの算数ドリルに出ている問題を授業でとりあげることにした。
進学塾にかよっている子どもたちは、「10×10×0.57 57cm2」と、いとも簡単に解いてしまう。市川先生は、「へえー、すごいもんだねえ。こんなに簡単にできちゃうんだ。3.14とかって数字は使わないの?」と質問する。
「使わないんです。塾ではこういうかたちの問題は0.57をかけるように先生に習ったから。」市川先生「どうして、0.57をかけ算すると答が出るのかね?」
「それはわからないけれど…。」と彼は当惑顔。おなじ進学塾にかようK君が、「ぼくもどうして0.57なのか知りたかったんだ。「ぼくも…」何人かの進学塾にかよう子があつまってくる。
進学塾にかよっている子どもたちは、学校や先生に気をつかっているからか、塾の学習内容や悩み、疑問などを気軽に話してくれないそうだ。
塾に通っている子も、そうでない子も、「なぜ?」ということを知りたいことにはかわらないのだ。市川先生は、いつも、子どもたちの知的好奇心をみたす授業を心がけている。
こんな先生の授業をうける子どもたちは、学ぶ喜びを知り、認識・思考する力をつけることができるだろう。
さて、進学塾にかよっている子どもたちは、「10×10×0.57 57cm2」といとも簡単に解いてしまったが、その意味はわからない。でも、できるのである。
この問題の解き方を考えてみよう。
図の葉っぱ型の面積をもとめる。このさい、10×10×0.57は、考えないことにしよう。
さて、どこから手をつけようか?
点b,dを直線でむすんでみよう。葉っぱは直線b,dで2等分されている。線分b,dの上の2分の1の葉っぱの面積は、半径10cmの四半円から1辺 10cmの直角2等辺三角形の面積をひいたものだということがわかる。すでに円の面積が半径×半径×3.14ということを学習しているということを前提に すれば、この四半円の面積は、10cm×10cm×3.14÷4でもとめることができる。10cm×10cm×3.14÷4=78.5cm2。b,d上の葉っぱ型の半分の面積は、ここから三角形の面積、10×10÷2=50cm2をひけばよい。78.5cm2-50cm2=28.5cm2
したがって、もとめる面積は、28.5cm2×2=57cm2となる。
一見むつかしそうに思われる面積の問題も、このように分析⇔総合という手法で解決することができる。数学教育も他の領域と同様に、認識力・思考力をつけるためにおこなわれるのである。
57cm2という結果は、正方形abcdの面積の57%にあたる。
だから、(1辺の長さ)×(1辺の長さ)×0.57でもとめることができ、1辺の長さに関係なくこの関係は成立する。
このような認識も、考えることによって獲得される。真理の探求は、認識・思考することによってはじめて可能になるのである。
「5+8=13だと瞬時に言えるようにしておかないと、中学校の学習についていけない。百マス計算でいえば、二分台、あるいは、一分台にもっていけばそう いうレベルになれます。そういう意味で、基礎の基礎だと思っているし、それがなかったら算数、数学の学習そのものに意欲がわかないという現実がある」とい う認識そのものと訣別する必要があるのではないだろうか。