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カテゴリ:バイオレンス
![]() 監督 マーチン・スコセッシ 出演 ロバート・デ・ニーロ ジョディ・フォスター スコセッシ、デ・ニーロの名コンビの、最初期の出世作です。ほんと名コンビですよね、これほどの名コンビは、あとティム・バートンとジョニー・デップくらいしか知りません。でも最近、スコセッシはレオナルド・ディカプリオがお気に入りのようですが。 今回は、言いたいことを述べるために、ネタばれ承知で全編のあらすじを書かせていただきます。これから観たい方は、読まないでください。 ベトナム帰りの元海兵隊員トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は、極度の不眠症のため、タクシードライバーの仕事に就きます。ニューヨークの夜の街をイエローキャブで流すのです。 トラヴィスは、次期大統領候補パランタインの事務所の職員で、上品で知的な美人ベツィを、デートに誘います。行った先はポルノ映画館、ベツィは怒って帰ってしまいます。 ある夜、トラヴィスは偶然パランタインを乗せます。大統領候補に「今アメリカの問題点は?」と聞かれたトラヴィスは、「このゴミためのような街をきれいにしてほしいですね。大統領なら水洗便所を流すようにきれいにできるはずです。」と答えます。 また、ある夜、女の子(ジョディ・フォスター)がタクシーに乗り込んできて叫びます。「早く出して!」トラヴィスが戸惑っていると、男が連れ去ってしまいました。 ある中年の男の客(なんとスコセッシ監督本人)は、到着地でメーターを止めさせず、車から降りずに語ります。「2階の窓に女の影が見えるだろ、おれの家内さ。あれは他人の家だ。家内は殺す。44口径のマグナム拳銃で殺す。粉々に吹っ飛び何も残らん。」 トラヴィスは先輩の男に語ります。「落ち込んでる。ここから飛び出して、何かをやってやる。何かをやりたいんだ。」先輩は答えます。「どうせ俺たちは負け犬さ、俺たち運転手に何ができる。あまり気にするな、それが第一さ。」 それからトラヴィスはヤミで拳銃を4丁買い、射撃練習をし、体を鍛え、引き出しのレールを使って銃が手元に飛び出す装置を作り、そして「You talkin’ to me?(誰に言っているんだ?)」とつぶやきながら、銃を構える練習を繰り返します。 コンビニでトラヴィスが買い物をしていると、銃を持った強盗が現れます。トラヴィスは持っていた銃で強盗を射殺します。店員はトラヴィスを逃がし、「今月はこれで5回目だ。」と言いながら、死体を殴るのです。それからのトラヴィスは銃を持ったままTVを見るようになります。 ある日、トラヴィスは街でいつかの少女を見かけ声をかけます。ひものマシューズの許しをもらい、少女アイリスとホテルの部屋へ行きますが、12歳と聞いて、抱こうとせず、助けたいと説得します。説得に応じないアイリスと翌日食事の約束をし、帰ります。しかし、翌日も説得できませんでした。 パランタインの演説会が街角で行われます。トラヴィスは体中に拳銃とナイフを仕込み、頭をモヒカンにして現れますが、SPに察知され、逃げるしかありませんでした。 その夜、トラヴィスは、アイリスのいる売春宿を襲います。マシューズや元締めたちを殺し、自分も重症です。泣いているアイリスの横で、自殺しようとしますが、弾切れでした。警官が踏み込んできますが、抵抗することはできませんでした。 次の場面、家出少女の帰還に感謝する両親の手紙が声で流れる中、トラヴィスの写真入りの新聞の切り抜きが壁に貼ってあるのが映ります。そして、トラヴィスのタクシーのお客はベツィです。「新聞見たわ」というベツィの眼には、尊敬のまなざしがうかんでいますが、トラヴィスは料金を受け取らずに別れます。 少女は無事両親のもとへ帰り、トラヴィスは、重症だったが命は助かり、アイリスの両親に感謝され、英雄的に報道されたおかげなのか、3人も殺害しているのにもかかわらず、罪に問われず職場復帰し、思いを寄せていたベツィからも見直されます。このハッピーエンド、違和感ありありです。全編にわたって流れる暗い雰囲気からすると、売春宿の血まみれの現場で、ぷつっと終わって、トラヴィスは死んだのかな、最後まで報われなかったな、ベトナム帰還兵は、やっぱりまともには生きていけないんだな、という方が合っていると思うんですが。 でも、忘れてはいけません、最後にベツィを降ろした後、バックミラーに映るトラヴィスの目の怪しい光を。トラヴィスはアイリスを解放しただけで、悪人を3人やっつけただけで、英雄的に報道されただけで、満足はしていないでしょう。トラヴィスの希望は、都会の闇にうごめく汚いゴミを一掃することでした。売春婦や殺人者や強盗やジャンキーやヤクの売人やチンピラや浮浪者や家出人やホームレスなどを、すべて憎んでいるのです。それを、自分が何かやることで、改善したいのです。最後の眼の光は、まだ何かやるぞという意味なのではないでしょうか。もちろんそれは、大統領候補を襲おうとしたように、たいへん不器用なやり方だと思われますが。やっぱりまともではないですからね。今回の事件で罪に問われなかったことから、上手くやれば捕まらないんだと思ってしまったかもしれません。実は、本当の地獄はこれから始まるのではないでしょうか。 ところで、このエンディングの違和感、公開当時から話題だったみたいで、別の説があるそうです。それは、この最後の場面はトラヴィスの妄想だという説です。つまり、やはりトラヴィスはここで死んでおり、死ぬまでの数分間の間に見た、頭の中の風景だというのです。なるほど、それは理にかなっている。確かに最初観たとき、トラヴィスは首に銃弾を受けて、すごい出血して、死んだなと思いました。しかも、トラヴィスにとって都合のいいことばかりなのです。その説もいいなあ、と思ってしまいました。 この映画は、カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)をはじめ、数々の賞を受賞していますが、米アカデミー賞では、作品・主演男優(もちろんデ・ニーロ)・助演女優(もちろんジョディ)・作曲の4部門でノミネートされていますが、すべて選ばれませんでした。いわゆる「スコセッシの呪い」の始まりです。ジョディ・フォスターはこのとき作中とほぼ同じ13歳でした。後に主演女優賞を2回ももらっています。さすがです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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