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カテゴリ:ドラマ
![]() 「さまよう刃」 2009年 日本映画 監督・脚本 益子昌一 出演 寺尾聰 竹野内豊 伊東四朗 東野圭吾のベストセラー小説を映画化した作品です。東野圭吾といえば、「容疑者Xの献身」で直木賞を受賞するなど、数々の賞を受賞しており、「手紙」「秘密」「白夜行」「流星の絆」「ガリレオ」「新参者」など、その作品が映画やドラマ化されている、大人気ミステリー作家です。 女子中学生の遺体が荒川で発見されました。 被害者は長峰重樹(寺尾聰)の一人娘・絵摩。 妻をがんで亡くし、娘の成長だけを楽しみに生きてきた長峰にとって、あまりにも衝撃的な娘の死でした。 長峰は詳しい死因などの説明を求めますが、捜査を担当する刑事の真野(伊東四朗)はあえて事実を隠そうとします。部下の織部(竹野内豊)は、そんなやり方に疑問を抱きますが、「被害者遺族を苦しめるだけだ」という真野の言葉に逆らうことができません。 絵摩は何者かに理不尽に陵辱された末に殺害されていたのです。織部ら刑事たちは、目撃者の証言をもとに懸命に捜査を続けます。 一方で長峰は捜査の進展を聞いても知らされず、ただショックから立ち直れずにさまよい歩く日々を送っていました。 そんなある日、留守電を再生した長峰に衝撃が走ります。 「絵摩さんを殺した犯人は、トモサキアツヤとスガノカイジです。トモサキの住所は、………。」 半信半疑で言われた住所へ向かい、侵入した長峰は、犯行の一部始終を収めたビデオテープを発見してしまいます。 長峰は、あまりにも悲惨な絵摩の死の真相を知り、その場に座り込んで、呆然としてしまいます。 やがて、伴崎敦也が帰宅します。室内に潜んでいた長峰は、伴崎を襲い、殺害してしまいます。 こうして、長峰の復讐劇が始まったのです。 ![]() ここまでで、30分ぐらいです。あと1時間半は、もうひとりの犯人菅野快児を追う長峰と、刑事たちの攻防となります。 とにかく、暗く重苦しい物語です。 たったひとりの家族を理不尽に殺され、もうその恨みを晴らす事しか、生きている意味を見いだせない初老の男、心情的には長峰に同情しながらも、法の番人として、彼を追わざるを得ない刑事たち、長峰と真野・織部両刑事、中心人物の3人が3人とも、無口で難しい顔をしています。 とりわけ、長峰役の寺尾聰さんは、燃える復讐の炎をほとんど表面には出さず、ほとんどしゃべらない、寡黙で静かな男を、いつもの調子で巧みに演じています。後半はほぼ彼の独壇場ですので、彼の雰囲気が、映画全体の雰囲気となり、非常に重苦しい空気が全体を包んでいるのでしょう。もちろん、たったひとりの愛娘を殺され、密かに復讐に燃える男なわけですから、明るく演じるわけにはいかないので、当然ですが。 しかし、3人が寡黙なせいもあり、全体にその心情など、説明不足の感が無きにしも非ずなのが、残念なところです。 例えば、長峰がいかに娘の絵摩を愛していたのか、ところどころ、過去の回想場面で、娘や亡き妻との思い出を挿入したり、冒頭で朝家を出る時の様子を映し出したりしていれば、長峰と絵摩の関係性などがよくわかったのではないでしょうか。 また、若い刑事織部がたびたび長峰に対し同情的な言動を見せるのに対し、その上司であるベテラン刑事真野は、終始覚めた感じで、自分の仕事を冷静に全うしようとしています。ベテランが故に、様々な経験をし、今織部が思っているようなことは、とうに通り過ぎてきているのであろうことは想像できますが、やはり、過去の事件の経験などの場面を挿入していただけると、「長峰には、未来がない。」と言い切った、彼の心情をより理解することが出来たのではないでしょうか。 ![]() ところで、この映画を語るためには、「少年法」の話題を避けるわけにはいかないでしょう。 この映画での事件の犯人、伴崎と菅野は、まだ十代の若者でした。彼らは、長峰の娘絵摩を凌辱し薬物を投与して死なせただけでなく、ほかにも多くの女の子を拉致し同じような目に合わせていたらしいことが、劇中で語られています。 はっきり言って凶悪犯です。 ところが、十代ということで、一般の刑法で裁かれることはなく、「少年法」の対象となります。そのため、保護・更生を主目的とする「少年法」の精神にのっとり、決して極刑(つまり死刑)になることはありません。 長峰はそれがわかっていたからこそ、自分の愛娘を惨殺した2人を、自らの手で処刑しようとするわけです。織部刑事は、そんな彼の心情を鑑み、菅野を“保護”しなければならない、自らの立場に迷ってしまうわけです。 この映画、および原作小説は、そんな「少年法」の矛盾に対し、問題定義することがテーマであることは明らかです。 まあ、そんなお話ですので、暗く重い話になってしまうのはしょうがないところでしょうか。 だから、最後の、実は原作と違うという(原作は未読ですので、どうなっているのかはわかりません。)結末、多くの方々がネットで述べているように、僕も納得できませんでした。 長峰が伴崎を殺害したのは、自分の愛娘の悲惨な最期を目撃してしまった直後であり、衝動的な行動であったが、その後、菅野を追って数日過ごすうちに、復讐の炎が治まって来て、冷静に判断できるようになってきた結果だということなのでしょうか。(こう書くと結末がわかってしまいますかね。) なんか、納得できませんね。日数がたって冷静になってきたとしても、本人を目の前にすれば、また気持ちが高ぶって来るのではないでしょうか。しかも、見るからに本人は全く反省などしていない様子でしたし。(明らかに大々的にTVなどで報道していそうな事件であるのに、菅野自身は全く気付いておらず、金を物色しに、川崎の町中に堂々と現れるというおバカさんだし。) でも、僕も、復讐のために命を奪うことは反対です。だいたいが、ああいう若い時に無茶をする連中というのは、早くから人生投げ出している奴らが多いんですよね。だから、自分の命が無くなるかもしれないということを恐れていないやつが多いような気がします。そんな奴の命を奪ったとしても、苦しい社会から逃れられるということで、かえって感謝されたりするかもしれません。 だから、僕だったら、命を奪って楽にさせてあげることはやりたくないです。例えば、拉致監禁して、どこかの離島の監獄に一生閉じ込めておくとか、閉じ込めて強制労働させるとか、自由を奪いつつ、死なせもしない方法で、自分の愚かさに気付かせてやりたいと思います。愚かさに気付いたからといっても、開放してやらないけどね。どうせ、自分の手を汚すのならば、その方がいいでしょう。(実はすごい陰険な人間だったりするんですよ、僕って。) そういえば、そんなドラマがありましたね。「ジョーカー」だったっけ。堺雅人さんが主役だったやつ。結構興味深く見ていた覚えがあります。 ということで、重く苦しく、つい陰険なことを考えてしまった、いまいち納得がいかないけれど、僕のようにひねくれた心で見なければ、素直に感動できる映画を今回は紹介しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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