テーマ:趣味の英語(404)
カテゴリ:I LOVE NEW YORK
セントラルパークには訪れたいところがいっぱいありました。動物園、回転木馬、ベセスダ噴水、アリス像、アンデルセン像…。それに紗智子さん(NHKテレビ「体感!ニューヨーカーの会話術」ご出演)がブログで紹介されていたローブボートハウスでの食事などを何とか織り込もうとしたのですが、結局行けたのは先日の日記で紹介したベルベデーレ城などと、ストロベリーフィールズだけでした。
ストロベリーフィールズは西72丁目からセントラルパークに入ってすぐの植樹された丘のことで、ダコタアパートから近く、生前ジョンレノンが好んで散歩したところだそうです。ストロベリーフィールズの名前はジョンを偲んでビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」から採られました。この曲の歌詞にストロベリー・フィールド(Strawberry field:こちらは単数形)が出てきますが、リバプールにあった救世軍の孤児院のことです。ジョンは子供の頃その近くに住んでいて、建物の裏の藪で友達とよく遊んだそうです。 写真でよく見かける花を飾られたモザイクを探して、私はダコタアパートの前の8番街と72丁目の交差点から公園に入りました。すぐの歩道は南に下がる坂道で、辺りを確かめながら歩きましたが、なかなか中央にIMAGINEの文字が施されたモザイクを見つけることができません。歩道は緩やかに東へ曲がって坂を下りきったところで車道と合流しましたが、やはりそれらしいものはありません。車道を越えたところにこんもりとした藪があったので近寄るとストロベリーフィールズの看板がありました。嬉しくなってモザイクを探したましたが、木々が茂っていて子供が木登りできそうな大木がありましたが、モザイクは見つかりません。暗くなってきたし、諦めて公園の入り口に戻ろうと思い、今度はその丘に沿った坂道を登っていくことにしました。ほとんど丘を登りきったところに石組みがあり、表面が平らな大きな石の上にブロンズのプレートがはめ込まれていました。モザイクではないけれど、ストロベリーフィールズを訪れた記念にと写真を撮りました。文字ばかりなので念のため上下の部分は手でも書き写しました。 まず一番上に STRAWBERRY FIELDS と大きく記され、 二段目には「イマジン」の歌詞の一節とジョン・レノンの名前。 その下には国の名前が5列になって並んでいました。最初がAfghanistan(アフガニスタン)で最後がZaire(ザイール)だからアルファベット順です。全部で121カ国です。ドイツは二つ、Federal Republic of Germany(旧西ドイツ、現ドイツ)とGerman Democratic Republic(東ドイツ)。Soviet Union(ソヴィエト連邦)の名前も。時代を感じました。ザイールも今はコンゴ共和国です。 さらにその下には The restoration of this part of Central Park as a Garden of Peace, endorsed by the above nations,was made possible through the generosity of Yoko Ono Lennon. とあり一行分あいてその下には Dedicated by Mayor Edward I. Koch and Parks Commissioner Henry J. Stem そして一番下には October 9, 1985 これらの文章が解釈しづらかったのでセントラルパーク管理事務所のサイトをのぞいてみました。 Dedicated by Mayor Edward I. Koch and Parks Commissioner Henry J. Stemの主語は一番上のSTRAWBERRY FIELDSで Strawberry Fields was dedicated by Mayor Edward I. Koch and Parks Commissioner Henry J. Stem. October 9, 1985 と読めばよさそうです。1985年10月9日はジョンの、生きていれば45歳の誕生日。Parks Commissionerは公園理事と言ったところでしょうが、Henry J. Stemは当時ニューヨーク市議会議員でストロベリー・フィールズと名づける法案を提出した人なので当時の市長(公園を所有する市の代表)と並んで献辞しているのでしょう。 The restoration of this part of Central Park as a Garden of Peace, endorsed by the above nations,was made possible through the generosity of Yoko Ono Lennon. ジョンがダコタアパートの前で射殺された翌1981年、この場所をストロベリーフィールズと名づけ改修することがニューヨーク市議会で可決され造園されました。その費用と維持費をオノ・ヨーコさんが寄付されたそうです。 興味深いのはこの部分、 this part of Central Park as a Garden of Peace, endorsed by the above nations, セントラルパークのこの場所、つまりストロベリーフィールズは平和の公園であると上記の国々が是認しているということです。endorseは手形や小切手の「裏書をする」時に使います。つまり信用を振り出すと言うこと。ここでも平和と言う目に見えないものを保証、請負うことを証文に残しているわけです。でもこれらの国の中には今も戦場となっているところもあり、複雑な思いになりました。 このプレートの前の坂道を登りきったところに三角形の空間があってベンチが置かれ人々がくつろいでいました。そしてその中央に探し求めていたモザイクがありました。やはり花で飾られています。若いカップルが前で写真を撮っていました。白黒のモザイクはポンペイのモザイクを再利用したものでイタリアの職人さんが作ってナポリ市が寄贈したものだそうです。 ポンペイのモザイクと聞いて、番犬のタイルを思い出しました。やはりこのモザイクにはロマンがありますね。 【追記】モザイクの写真をフォトアルバムにあげました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[I LOVE NEW YORK] カテゴリの最新記事
|