葬儀/目の表現/即席
昨日、お葬式に行く。 もう20年以上前に行政書士を開業した頃に、とてもお世話になった人のお葬式だった。 最近のお葬式って自宅でしないで民間の葬儀場で行われることが多い。相続税の申告書を作っていても自宅で葬式をする人よりも、葬儀場を使う人が多くなっている。 私の住んでいる岡山地区で葬儀費用は、個人的な感覚だと葬儀場だと平均価格が300~200万円で、自宅での葬式だと100万円前後の値段となる。 葬式は、とても煩雑でしなければならない「儀式」が多い。特に田舎になればなるほどに、この「儀式」は多忙を極める。そして町内会・近所付合い等々も面倒でも在る。 しかし葬儀場だと、その一連の作業を全てまかなってくれるので便利ではある。 葬式の儀式の多さと忙しさ これは亡くなった人を弔う意味合いよりは、忙しく動き回ることで遺族、とくに配偶者の失意を薄くしてしまう為に一つ一つの儀式があるように思える。 そして、その作業をしながら一族で故人をシミジミと思い、伝えたかった故人の思いを計るのだとも思う。 でも、昔のスローライフの時代と違い、現在は子供から大人まで超多忙な時間を過ごしているので、それが理由で手間ひま掛ける葬儀の手順を踏まないでも、その忙しさで故人を亡くした悲しさが消えていくので、葬儀代が高価であっても早くて便利で手間を取らせない「葬儀場」を選んでしまうのかなっ。 何気なく、お葬式に出席し、あまりにテキパキと段取りが進むので、故人を偲ぶより、そんな事を思ってしまった。********** 友人の医師が以前教えてくれた話だが 「診察をしていると「坊主」と「葬儀場で働いている人達」は直ぐに分かる。」と言っていた。 理由は、面と向かって相手の目を見ながら診察をしていて、患者の目が「死んでいる」そうな。 どうも、葬儀を淡々と続ける事で、一々感情を表に出さないようになってしまって、知らず知らずのうちに無表情になり、そして目の表情も死んでしまうらしい。 いわゆる「職業病」なのだろう。 これは若い女性でも葬儀場に勤めていると、そんな感じになるらしく、診察をしていると「一発で分かる。」と言っていた。 そんな話を思い出しながら葬儀場のお姉さん達を見たけど、良く分からなかったです。 きっと、もっと近くに寄って相手の目を見れば分かるのでしょうが、なんだか…できませんでした。(^^; ********** 二週間前だったか事務所の右斜め前の空き地にて「地鎮祭」をしていた。二日前からクレーン車が来て、アレヨアレヨと言う間に二日間で家が出来ちゃった。(^^; 恐るべし「ツーバイフォー」の即席住宅と思った。 本日から「トントン、カンカン」と金槌の音がしてるけど秀吉の「一夜城」ならぬ、「二日ハウス」だねっ。 なんだか有り難味の無い「お家」だなー、と思った。 葬式なんかもそうだけど、やっぱそれなりにプロセス・儀式って必要でしょうな。 どうも、安易で即席なのは心が付いていかない、物事のスピードに心が追いつかないんだよなー。 とか建築中のお隣さんを見ながら、ふと葬式の話と一緒に感じてしまった。