|
カテゴリ:その他
宝くじの始まりは江戸時代の初期の。摂津箕面(現在の大阪府)の瀧安寺殻始まりました。その当時は当選者にお守りを配るだけでした。
江戸時代の幕府公認の宝くじは寺院の修復などに当てられました。 しかし江戸時代末期に宝くじが禁止されて以来103年もの間宝くじは販売されませんでした。 宝くじが復活したのは戦争末期の昭和20年7月に戦費を調達するためでした、名称は戦争中らしく勝札といわれていました。戦争に負けてしまったために抽選が行われない幻の宝くじとなってしまいました。 宝くじが本格的に販売され始めたのは終戦後でした。その当時は今と違い政府も宝くじを発行していました。 その当時の宝くじははずれ券4枚でたばこが10本と引き換えができました。昭和23年と24年にはプロ野球の球場で野球くじというものが販売されていました。最初は勝敗に関係がなかったらしいですがいつの間にかトトのように結果の当てるくじになったようです、このころ相撲くじもまた販売されていました。 宝くじの政府の販売をやめたのは昭和29年でした。 それからは地方自治体の販売となりました。 当選金額もうなぎのぼりであがりました 昭和20年の1等は10万円でしたが昭和29年に400万円に昭和35年には500万円に昭和63年には2000万にとだんだんとあがってきました。平成8年には1億円とあがっていきました。 平成6年には数字を選ぶナンバースーというくじが始まり 12年の10月からは最高賞金4億円(キャリーオーバー制) のミニロト6が始まりました。 宝くじは売上のほうは不況知らずで伸びています。昭和62年には売上が4451億円だったのが当選金額の増加と共に平成8年には8284億円まで倍近くまで売上を伸ばしていきました。一時的に売上高が落ち込みましたが99年のロト宝くじの売上などの新商品の投入や銀行のatmで変えるなどの措置で再び売上だがをのばし昨年は過去最高の1兆924億円まで売上高を伸ばしています。 宝くじは夢を買うとよく言われていますが、夢を買っているのではなく隠れた税金を払っています。 宝くじの配当はたったの46,3%で競馬などの75%に比べて低い配当です。手数料としては13,8%で39,9%が地方自治体への収益金として納められています。 4349億円が地方自治体や政令指定都市に収められています。税収が減少し公営ギャンブルも赤字続きの中で貴重な財源となっています。 宝くじは低所得者層が好んで買うといわれています お金持ちは宝くじでみすみすと損をするというようなことはあまりしません。宝くじは一種の税金であることから金持ちからたくさん税金を取り低所得者層に税金を再分配するという本来の役割をゆがめています。 今日の注目ニュース 日本中央競馬会(JRA)は28日、今年の年間業績を発表、馬券売上金は3兆103億4347万9600円で前年から3.9%減少した。JRA最高を記録した1997年を最後に6年連続の減少となった。入場者数も前年比2.4%減の850万7076人だった。(時事通信) 競馬の売上も大幅に減少しています。 ピークの97年には4兆円を少し上回りました。売上から1兆円近い売上が減少しています。 オグリキャツプの活躍などで売上が急に増え競馬が急に注目を集めました。 テレビなどで盛んに取り上げられています。 小学生までが競馬の話をしていました。 そのときが異常だったのです。 今が普通の状態に戻ったのです。 これからはどうやって売上を維持していくかが課題です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.10.14 20:22:42
コメント(0) | コメントを書く
[その他] カテゴリの最新記事
|
|