さまよう大学入試改革ー問われる大学の教育力
2014年12月22日に文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)は、大学入試改革について下村博文文科相に答申した。→「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号)」その内容を見ると、大学側の問題点を棚上げした、高所からの改革という印象を受ける。受験する高校生にばかり問題点を押しつけ、受け入れ側である大学教育の反省はあるのか?◇中教審の大学入試改革答申骨子◇ ・ペーパー試験による「知識偏重型」から論文や面接を使った「多面的評価」への転換 ・大学入試センター試験を衣替えした「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)創設 ・高校生の基礎学力の定着度をみる「高校基礎学力テスト」(仮称)の導入 ・英語の入試は「TOEFL」など民間の外部試験も活用 ・高校、大学の授業で「課題解決型学習」の充実 (毎日新聞12月22日)「多面的評価」「2つの新テスト」「英語の民間外部試験導入」「コンピュータを使ったCBT方式の導入」など、その刺激的な内容と表現が注目されているが、一般報道と異なる視点から昨今の「さまよう大学入試改革」の問題を考えてみたい。答申は、「高等学校教育と大学教育を結ぶ接続段階での評価の在り方である大学入学者選抜が変わることで両者の教育の在り方も大きく転換する」として、教育改革の実効性を高めるために、大学入学者選抜の改革の必要性を挙げている。 高校と大学両者の教育が変わる必要性を説く。確かに、「1点刻み」のペーパー試験での選抜から、論文や面接を使った多面的総合評価への移行により現行の大学入試センター試験を衣替えすることや、各大学の個別試験で面接など「思考力」や「主体性」の重視を求める施策が実現すれば従来の入試観を転換する大改革となる。但し、具体的な実施段階では問題が山積している。文科省は具体的スケジュールも公表しているが、受験する生徒と高校の現場は未だ具体的な対応に至っていない。そして大学側も5年以内に個別のアドミッション・ポリシーを作成して周知、実施することを求められているが、議論はこれからであろう。肝心のテストが見えない現状では、両者とも模様眺めが実情である。何のための入試か?まずは、各大学での教育のためである。しかし、一般報道では、現代の知識偏重教育が問題視され、問題解決型の「使える」人材育成へという論調になる傾向がある。結局、高校での教育や偏差値主義が矢面に立たされることとなる。知識詰め込みは世界で通用しない、頭だけの入試オタクはナンセンスというステレオタイプの批判に帰着する。ここで、毎日新聞に連載された「1点刻みを超えて」(2014/12/19〜12/21)の記事に注目したい。以下引用入試改革は難しい。「知識偏重」から「多面的総合評価」への転換は、15年も前に中教審が打ち出している。なぜ進まないのか。理念には賛成でも実施となると足並みが乱れるのだ。高校は「まず大学入試が変わらないとだめだ」。大学も「高校の授業こそ知識偏重そのもの」と譲らない。関係者からは異論が噴出。そのまま時間が過ぎていく。「今回こそ変える」。中教審会長も務める安西氏の思いは強く、特に8月以降、私案を基に議論を引っ張る場面が目立った。強気の背景には「教育再生実行」の旗の下、今まで動かなかった「改革」を次々と成し遂げてきた下村博文文部科学相の支えも大きい。道徳教科化、教育委員会制度見直し。個別入試での学力試験廃止は下村文科相も同じ考えだ。部会のある委員は言う。「政治的にもその方が改革色が出る」 政治の力を頼ってまで15年来の大改革に進みたいのは大学学長たちの悲願が込められているからであり、個別の学力入試を主張する国大協も止められないという。記事では、国立はともかくどれだけの私立大学が参加するのかが読めないと嘆く(私立大学への進学が多い)高校の進路指導現場や、大規模入試を行う立命館大では「多面的評価は無理」と言い切る入試担当者を紹介している。では、そこまで「足並み揃えた」大改革をして各大学は「個別に」どんな入試改革ができるのだろうか?次は毎日新聞12月22日の記事から引用難関・中堅大学のような「選抜性が高・中程度」の大学では、学力評価は国がセンター試験を衣替えして実施する共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)を活用。年複数回実施し、教科の枠を 超えた「合教科型」「総合型」の問題も出題。難易度の幅も広げる。各大学は個別に小論文や面接、集 団討論を実施し、評価テストの結果と合わせ合否を判定する。「入試が機能していない」大学では、もう一つの新テスト「高校基礎学力テスト」(仮称)の結果と、部活 動、留学といった高校時代の活動実績や面接を基に合否判定する。基礎学力テストは高校2、3年で年 複数回の受検を可能とし、「国語総合」「数学1」など必修科目を想定。成績は段階別で評価する。各大学には、求める学生像や評価基準を示した「基本方針」の明示を求めた。現行の一般、推薦、ア ドミッション・オフィス(AO)の入試区分は廃止する。一見、合理的で今回の改革にかなった方針に見える。しかし、大学を「選抜性が高・中程度の大学」と「入試が機能していない大学」とに二分し選抜方針を分けていることは問題である。まるで昔の一期校二期校のようだ。上からグループ化の方針を示すと大学の画一化につながり、個別の自由度がなくなる恐れがある。国公立大・私立大を問わず国の方針に沿って行う入試は楽だが、今回の改革では、個別の自由度は少なく、どこまで独自のアドミッションポリシーを示せるかが不透明なのではないか?本来、入試は大学の個性を示すものであり、大学教育の根幹に関わるメッセージを示すものではないか。個性ある大学が、教育によってどこまでポリシーに沿う学生を育てることができるか?その中味を見極めるための入試が、個性を縛られるものとなっては大学の存在価値に関わる。今回の改革では、大学教育の内容を生かせる入試を行うために、大学側がどんな工夫をするのかが大きく問われることとなるだろう。大学も、高校生を多面的に評価して問題解決に優れた学生の獲得に期待するばかりでなく、「教育の個別化」を意識して、どんな教育を行うためにどんな入試をするのかをじっくり考え、議論を重ねて欲しいものだ。(しかし、大学の法改正で教授会のあり方が変わりつつある。学長の権限強化でどこまで議論ができるのか、との不安はある。)大学教育について、答申は「大学教育の質的転換の断行」との項目を設けている。だが、そこで述べられていることは「主体性・多様性・協働性」を育成する観点からは、大学教育を、従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、学生が主体性を持って多様な人々と協力して問題を発見し解を見いだしていくアクティブ・ラーニングに転換し、特に、少人数のチームワーク、集団討論、反転授業、実のある留学や単なる職場体験に終わらないインターンシップ等の学外の学修プログラムなどの教育方法を実践する。」といった一通りの方向性に過ぎない。大学の個性にも注目が必要だろう。大学教育の問題についても目が離せない今回の入試制度の大改革。「評価」制度にこだわるばかりでなく、本来の入試の意味を改めて考えてほしいものである。