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熊野権現の王子の御一方「若一王子」を西八条邸に 平清盛が祀ったのが「若一神社」と伝えられています。 清盛が六波羅から一族の拠点を移したのが西八条 界隈。清盛の屋敷をはじめ平氏の屋敷群は西八条第 と呼ばれ、現在の梅小路公園をすっぽりと覆うほど、 広大な広さを有していたそうです。清盛が太政大臣の 宣下を受けたのも、祇王・妓女・刀自を呼んで舞を楽し んだのも、西八条邸のことでした。その西八条第の鎮守 の役目を果たしていたのが若一神社。西大路通沿いに は清盛御手植えの楠が聳えています。宮司さんのお話 ですと、樹齢850年を超える楠も、明治の市電が西大路 通を通る時に、楠の根がかなり伐られたとのこと。しかし 根の一部を伐採した時、工事に当たった人夫が原因不明 の病気に見舞われたことから「すわっ!清盛の祟りか」と 当時騒がれたようです。その騒ぎ様は新聞にも記事で出た ほど。平安時代、朝廷の政治に大きな影響力を与えた 清盛は、明治時代になっても、尚人々に影響を与えている という剛腕的人物です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 28, 2012 09:33:48 PM
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