1077731 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

京観深々

京観深々

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

京都一郎

京都一郎

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

katu6448@ Re:蓮の糸と中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説(07/09) この曼荼羅は、調査の結果ハスではなく、…
くまをたいせつに。@ Re:ゲゲゲの鬼太郎に登場した「迦楼羅」(08/06) はじめまして。(⌒‐⌒) 迦楼羅さまが出現前…
人間辛抱@ Re:京都真夏のミステリースポット(08/03) 初めまして、 ネットサーフィンから来まし…
kurashiki-keiko@ Re:修二会の「走りの行」(03/09) 学生時代にお水取りの行を夜中に見学させ…
Isiah@ nJRSDlEGynfedsBiYsn Recorded Delivery <a href=" htt…

Freepage List

Headline News

October 12, 2012
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

 本日、清盛セミナー(読売松坂屋高槻文化センター主催)の

初回で「清盛と日宋貿易」をレクチャーしてきましたが、やはり

平家の繁栄は「水軍」によって支えられていた、と言っても過言

ではありません。清盛の祖父であった正盛の代から、朝廷から

海賊追捕の命を受け、その討伐の任にあたっていましたが、

どうやら、その過程で水軍とコミュニケーションを図るようになり、

ついには水軍と協力をし合うようになったのでしょう。「水軍」の

ことをそのまま「海賊」と断言する人もいますが、「水軍」はある

程度の統率が取れた組織、海賊はそれら水軍からはみ出した

輩達と私は解釈しています。大河ドラマでも「兎丸」という海賊を

清盛が一旦捕縛し、その能力を開運や港湾事業に発揮させた

という設定になっていますが、実際そんなこともあったのでは

ないでししょうか。瀬戸内海には伊予水軍、塩飽水軍、阿波水

軍など多くの水軍が犇めき合っていました。それら水軍と対立

することなく、組織ごと取り込んでいった正盛・忠盛・清盛の度

量にはシチリア島を発祥とするマフィアのボスと相通じるものが

あるようですね。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 17, 2012 06:25:14 PM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.