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本日、清盛セミナー(読売松坂屋高槻文化センター主催)の 初回で「清盛と日宋貿易」をレクチャーしてきましたが、やはり 平家の繁栄は「水軍」によって支えられていた、と言っても過言 ではありません。清盛の祖父であった正盛の代から、朝廷から 海賊追捕の命を受け、その討伐の任にあたっていましたが、 どうやら、その過程で水軍とコミュニケーションを図るようになり、 ついには水軍と協力をし合うようになったのでしょう。「水軍」の ことをそのまま「海賊」と断言する人もいますが、「水軍」はある 程度の統率が取れた組織、海賊はそれら水軍からはみ出した 輩達と私は解釈しています。大河ドラマでも「兎丸」という海賊を 清盛が一旦捕縛し、その能力を開運や港湾事業に発揮させた という設定になっていますが、実際そんなこともあったのでは ないでししょうか。瀬戸内海には伊予水軍、塩飽水軍、阿波水 軍など多くの水軍が犇めき合っていました。それら水軍と対立 することなく、組織ごと取り込んでいった正盛・忠盛・清盛の度 量にはシチリア島を発祥とするマフィアのボスと相通じるものが あるようですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 17, 2012 06:25:14 PM
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