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カテゴリ:千の風になって
事故から40日過ぎた頃、所轄の警察の交通課に行きました。
親の事情聴取がありました。それで書類送検をする事になるのです。 初めてのことばかりで、予定の日時に大野署に出かけました。 父と母担当の警察官とお話しながら 生まれ、家族、家庭環境、親の仕事本人の仕事など 詳しく聞かれました。 警察の方は主人よりも少しばかり年配で 若いときにアメリカンタイプのバイクを乗っていたので 「息子さんが無理な運転をしないタイプだと思う。」 と話されていたのが印象的でした。 「もちろんバイクの良く調べましたし、ツーリングの皆さんにも 話を聞かれてました。そして前日の仕事内容や健康面、 当日の昼食の内容まで把握していました。 本人が亡くなっている以上 あくまでも事故の原因は推測するしかないのです。 主人は男ですので納得できないのでしょう。 「疲れからくる居眠り運転だと思われます。」と断定したい担当の方に 本当にそれだけなのかと なかなか認められないのです。 でも消去法で、あらゆることを言っても、 やはり最後には、そういうことになるのです。 スピードもだしていないし ただぶつかる場所が悪かった。 分厚い調書には事故現場の写真のほかに ほんの一瞬ちらっと、大樹がベットに横たわる裸の写真が見えました。 見てしまった。 病院の処置室で撮られたものなのでしょう。 眼が凍る 悲しい瞬間でした。 即死という現実はむごいことです。 このことは誰も知りません。 初めて書きます。 その週の土曜日が偲ぶ会です セレモニー会場をお借りして 昼の1時から夜の9時まで 記帳台に焼香台、そして思いでビデオ 大樹のCD、本、浴衣、アルバムなど飾り皆で丸テーブルでお昼は 軽食とお茶、夜はオードブルとビール JRの方の勤務にあわせて、来ていただけるように 又土曜日ですから仕事帰りの友人にと考えました。 最後に前日が大樹の誕生日でしたので 生花で作った バースディケーキに24本のローソクを立て 主のいない お祝いをしました。 でも皆の心には 大樹はいます。 100人近い人に来て頂き感謝しています。 次の日曜日は親戚だけの法要をしました。 主人は会食が始まるとすぐ疲れて2階へあがって休んでました。 こちらの方が休みたいのに 偲ぶ会のときにあらためて、大樹がバイクが好きであったことを 聞き、また乗りたかったパンヘッドのエンジンの事を聞きました。 ふと、その思いをどうにか形にして残したい。 そう思うようになりました。 記念碑を作ろう考えました。 主人に話したら作ろうという事になりました。 私の古い知人に40代から陶芸をはじめて 陶芸家の方がいました。その方がもう一度腕を磨く為に 京都で暮らし、勉強をはじめた事を思い出したのです。 誰かその様な事に詳しい先生を紹介してほしいと。 これが記念碑を作る、第一歩でした。 何かをしてなければ、生きていけない状態だったのでしょう。 兄弟でとった最後の写真。 夏の県大会開会式 嫌がる二人を無理やり撮りました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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