(推敲中です)
教えるべきことは第1に
「人は自分で稼いで自分で食べていくのです」
ということでしょう。
動物でもそうしています。動物園にいるのは、そうでないように見えるけれども、彼らもやはり見物人に貢献しているわけで、稼いで食っていることになる。人間の赤ん坊ですらそうであって、親に精神的にいろいろ与えているので親から養ってもらえるわけです〔詳しくはどこかに書きます〕。
稼ぐことと与えることはイコールなのです。それは雇われて稼ぐケースではわかりやすい。労働を与えて報酬を得る。労働が報酬になる。いわば労働=報酬。
しかし仮に自分ひとりで自給自足をしている場合を考えてみると、与えているようには見えない。
その場合は自分に労苦を与えています。で、自分に労苦を与えることは他人にプラスを与えることに等しいのです。自分に労苦を与える=労働 上の式の いわば労働=報酬から 報酬を得る が出てきます〔詳細は別の機会に〕。
で、現実のお金の貯金に対して 精神的な貯金というものがあるのです。
精神的な貯金とは 意識に残る変化のことです。あらゆる存在は エネルギーを受けると それに応じた変化がつくのです。意識もその例外ではありません。
で、人にあることを為した時に意識につく変化は、将来必ず元に戻らされます。つまり 人に為したとおりを 将来必ず自分が受けることになるのです(証明は別の機会に)。
人にプラスを与えたら貯金になり、マイナスを与えたら借金になるわけです。
さらに、例えば作物を作る労働も いわば精神的な貯金もしていることになる。先に述べた理屈でそうなります。つまり それは他人に与えていることに等しいのです。働くことは自給自足であれ稼ぐことであれ、精神的にも物質的にも自分の貯金になり、それは他人に与えているのに等しいのです。
そして、稼いだものを消費することは自分に快を与えることになり、稼いだものが減っていき、精神的にも物質的にもプラスマイナスゼロになっていく。
そういうことです。
第2に教えるべきは、「すべてはギブアンドテイク」だということでしょう。それは結局は第1と同じことなのですが。つまり、ギブすることは稼ぐことであり、稼いだものを消費することはテイクに等しい、テイクとは与えられることに等しい〔誤解しないでください。人のものを勝手に取ることはしないでください〕ということです。
結局、礼儀や作法などを教えることもそこに入ります。
そこらのところをつきつめていくと、信じられないけれども何と、宗教などが説く「人に与えたものが自分に帰ってくる」となるのでびっくりです。つまり、礼儀や作法も結局は自分のため、ということになります。
〔表現がまずいですね。わかりにくい。また推敲します〕
詳しくはどこかに記します。
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Last updated
2006.03.16 21:04:03
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