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*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、などの研究#33~37*イメージ思考でいこう* ここの続き物は、まさにイメージ思考によるイメージスケッチであって、全然まとまりはついていません(私の頭の中ではだいたいまとまりはついていますが)。 構成加筆訂正推敲して全部をまとめるにはひと月くらいはかかりそうです。 さて、次なる目的意識・テーマ感は、宇宙の存在目的、といきましょうか。 ここでは仮説・哲学という攻め方でいくので、証明は必要ない立場にたちます。 宇宙の存在目的の第一は、心・意識を存在させること、とするのは妥当だろう なぜなら、物質の世界だけが存在し、心・意識が存在しないとするなら、それは、観客は世界中のどこにもまったくいないのに映画だけが上映されているようなもので、そんな本末転倒・奇妙きてれつ・ヘンなことは起こるはずがなく、そんなことを宇宙はなさないはずであるからである (仮に宇宙がそんなことを為していたら、宇宙は愚かの極みにあることになる。宇宙はそんな愚かさをもたないと私は信ずる ともかく心・意識は存在する デカルトは「我おもう ゆえに 我あり」と書いたが、 それよりも、「我意識し味わう ゆえに 我あり」がより正しいと私は考える(ちなみに、デカルトは、霊魂はあり、松果体に宿っている、と主張している。質の科学では、網様体に宿っていそうだ、と証明らしいものをなしているが、松果体は網様体の近くにある)(質の科学では、霊魂はあってもなくても転生はありそうである、という証明のようなものをなした上で、霊魂はありそうだという証明のようなものもなしている) なぜなら、たとえばコンピューターが、「我は考えている ゆえに 我あり」という情報処理を行っても、コンピューターには意識し味わう能力はないので、そういったことがあってもなんの意味もない、という立場が成り立つからである(もっとも、おもうという存在がある、ということは認められる。しかし、認める存在とは、意識し味わう存在である、という立場こそが最も強力な立場であると私は考える) つまり、おもっても意識し味わわなければ、先に述べた観客のいない映画とまったく同じである、という立場が最優先されると私は考える つまり、意識・心は、物質に優先する存在であるといえると思う よって、意識・心は物質に依存せず、物質から独立しているところのレベルがより高い存在である可能性が高いという哲学的立場は成立する(哲学には証明と検証はいらない。説得力があればよい) しかし実際のところ、現象的には意識・心は脳という物質の組織に依存しているように見える しかし、詳しく研究していくと、物質の組合せである脳からは意識・心は生じないことの証明のようなものがなされ(前に記しました)、霊魂と呼ぶべき存在がありそうであることの証明のようなものもなされている(先に記しました) さて、意識・心とはどういった存在か (仮説 このブログのいくつかに記したように、霊魂という存在があってその中での何らかのエネルギーの波動パターンの変化の中に、意識・心・味わい・質というものは存在する (仮説 それについては、物質・エネルギーの存在について、根本的な説明ができないのと同じように、それ以上の説明はできないだろう それ以上の説得性のある証明のようなものと解説を私は知らない さて、人が何かを体験する(言動する、考える、感じる、などなど)と、その心的内容(=なんらかのエネルギー組織の変化=なんらかのエネルギーの波動パターンの変化)は意識の主体に送り込まれ、意識の主体がそれを意識し味わう そのときに、それに応じた変化が意識の主体につく。なぜなら、すべての存在は、エネルギーを受けるとそれに応じた変化を受けるからである その変化を「質時間」と名づける 「質」とは体験の質・味わいであり(方向性と濃度・密度の大小をもっている)、それを意識し味わった時間で積分したベクトルのようなものが質時間である(かんたんにいうと、体験の質×時間で方向性をもつもの。体験の質の濃度が時刻によって変動するので、積分する、となる。たとえば、車が時速60キロメーターで北に向かって一時間走ると、60×1(北→)で、北に60キロメーター移動することになる。実際には車の速さは定まっていず、変動しているから、おおざっぱに表現すると、時速58キロメーターで0,1秒、時速61キロメーターで0,04秒・・・・などとなっていくので、速さの変動に応じて速さに短い時間をかけてそれを足しあげていく、という計算方法をとる。それが積分という計算方法によるものである(速さ→速度というベクトル)) 意識の主体にはそんなふうに変化がついていく 人が同じ体験をしつづけていくと同じ変化がその人の意識の主体につきつづけていき、その意識の主体は変化の限界に達して壊れてしまう なぜなら、どんな存在も、変化が限度を越えると壊れるからである たとえば、棒を曲げていくと、限界を越えると折れてしまうように そこで、この世界には意識の主体を壊さないための仕組みがあるのである(これは仮説めいてきこえるが、現実の世界を観察していると、それは事実であるとほぼ検証できる 先に述べたように、この世界で最も大切なものは、意識・心であるとみなせるから、宇宙は意識の主体たちが壊れないように保護する仕組みを設けているのだろう 機械や電化製品などにもいろんな保護装置がついているくらいである (物質によってできているものは、壊れても、物質の基本的粒子みたいなものやそのほかの存在に分解されるだけで、なくなるわけではない) そこにおいて、ある体験をしたら正反対の体験を同じ量体験すれば、意識の主体についた変化が元に戻って意識の主体は壊れない その場合のそのたとえは、直径20キロメーターの土俵があって、その中心に立ち、北に10キロ進んで、それ以上北に行くと土俵から落ちてしまうが(土俵から落ちることは意識の主体が壊れることにあたる)、落ちる前に南に10キロメーター進めば、元の中心点に戻る、つまり変化が元に戻り、土俵から落ちることはない(つまり意識の主体が壊れることはないということに匹敵する)ということになる (仮説 そういう仕組みがこの世界にはある 先に述べたように、現実の世界を観察していると、それは事実であると思えてくる さらにたとえば、ことわざなどにも、それを裏づけるものが存在する 苦あれば楽あり楽あれば苦あり、人間万事塞翁が馬、 易経の教えにも、それと同等のものがある さらに、正反対のことわざがあるということも (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) (再掲) (世界が恐慌に突入するのは、そう遠くない、という感じですね) (世界中の人々の精神的借金の総量が膨大になりすぎていて、多くの人々が、自由に物を買い、普通の生活をおくる資格がなくなってきていると考えられます。 よって、経済的混乱、インフレと恐慌が同時に起こるスタグフレイションなどが発生することになっていくかもしれません。同じ理由で、世界的大混乱・戦争なども起こることになっていくかもしれません) (このブログの内容は主に、「質の科学」という科学に基づいたものが多いのです。 質の科学は、人間の体験の質を扱います(体験の質は無数にある)。それは、「意識」「意識につく変化」などを中心に考える科学で、人間の体験についての法則や、転生までをも導きだします。それらが、科学的にほぼ証明されているのです(100パーセント検証されているとはいえませんが)。 さらに、そこから、個人、団体、社会、国、世界などの法則も導かれます。 詳しくお知りになりたい方は、検索窓でどうぞ。 キーワード:私の霊魂研究の道のり。質の科学。質時間。精神的借金。意識。 精神的貯金。科学的カルマ。ギブアンドテイク。哲学。 などなどです) (再掲) (政府の財政を破綻させない方法) (政府が次のことを行う 製品本位制をとる 科学・工業・生産技術を囲い込む 宇宙開発(月や惑星を開拓して、住居などをつくる)を目指し、将来のその成果を現在において債権化して売り出す 名誉を売り出す 生活に不自由のない社会にする お金を持っていても使い道がない、という社会にする(もうなんでも持っているから、と) 種々の多くの競技会を催し、人々に多くの名誉・栄誉をもってもらう お金儲け以外の素晴らしいことを行うのが最高だ、という風潮の社会にする) (詳しくは、明日以降に。前にも一部記載しました。検索窓でどうぞ) (しかし、それらを実行しても、我々日本人の、精神的借金の総和が大きすぎるので、うまくはいかないと思われますが) (再掲) (この先、世界はたいへんなことになっていきそうですね) (再掲) (<社会混乱・インフレ>対策を始めましたか?) (質の科学によれば、本来なら、今頃は、世界的戦争が起こっていてもおかしくはない、という結論が導きだされます。現実には戦争は起こっていない。よって、これからの世界の混乱は、いっそうひどくなっていくと予想されます) (*私論・試論*(覚え書き。推敲してません)(再掲) 日本の経済・金融情勢は、この先どうなっていくだろう? ハイパーインフレは起こるのだろうか? (中長期的視野で) 低金利や量的金融緩和政策にもかかわらず、インフレはおろか、デフレ脱却もできなかった(現在、わずかに、物価が上がった程度である。デフレの脱却にも時間がかかりすぎた)。 現在は安い商品が海外からいくらでも入ってくる。 現在はインフレは起こりにくい。 日本人の精神的貯金(消費やいい生活、に関わる)は、大きなマイナスだろう(精神的借金が大きい)。 よって、これから先、インフレがきて、いい生活の度合いが下がるはずだ。 物価が3~4倍くらいになれば、政府の財政は破綻せずに、立ち直るだろう(ただし、国債の利率をコントロールしなくてはならない)。 しかし、インフレがこなければ、政府の財政は破綻し、その後に、インフレがくるだろう。 インフレが起こるということは、自国通貨の価値が下がるということだ。すると、インフレの度のより低い国の通貨に対して、円安になる。すると、さらに物価はあがる。すると、さらに円安にる・・・・・・ 地球環境の保全のためには、資源価格インフレが起こり、その消費が大きく下がることが必要だ。 それが起こっても、日本でインフレは起こる(不況も起こる。スタグフレイションになるかもしれない)。 それは、人類の生存のために、必須である(人類の生存のできる地球環境を守るために)。 よって、なんらかの力によって、それは起こるだろう。 (日本の産業にとっても、それは有利である。日本はその方面でも世界のトップ であるからである) こう考えてくると、この先必ずインフレは起こるということになりそうです。 4~10(20)倍くらいのそれでしょうか。 加えて、不況になるかもしれません。日本人のさまざまな精神的借金が増えすぎていて、いい生活をする資格がなくなってきているからです(世界的にもそういう国が多い)。同じ理由で、世界的大混乱・戦争が起こるかもしれません。 (私論・試論につき、無保証) (推敲してません) ) いろいろ忙しくなってきたので、今日はこれくらいで。 やるべきことが山積み! です! このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(引用的なものはそう記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天にあります(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 それらの無断利用を禁じます。 宇宙人がでました(?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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