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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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2008.03.21
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*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、などの研究#33~44*イメージ思考でいこう*


さて、次なる目的意識・テーマ感は、宇宙の存在目的、といきましょうか。

ここでは仮説・哲学という攻め方でいくので、証明は必要ない立場にたちます。


宇宙の存在目的の第一は、心・意識を存在させること、とするのは妥当だろう
なぜなら、物質の世界だけが存在し、心・意識が存在しないとするなら、それは、観客は世界中のどこにもまったくいないのに映画だけが上映されているようなもので、そんな本末転倒・奇妙きてれつ・ヘンなことは起こるはずがなく、そんなことを宇宙はなさないはずであるからである
(仮に宇宙がそんなことを為していたら、宇宙は愚かの極みにあることになる。宇宙はそんな愚かさをもたないと私は信ずる

ともかく心・意識は存在する
デカルトは「我おもう ゆえに 我あり」と書いたが、
それよりも、「我意識し味わう ゆえに 我あり」がより正しいと私は考える(ちなみに、デカルトは、霊魂はあり、松果体に宿っている、と主張している。質の科学では、網様体に宿っていそうだ、と証明らしいものをなしているが、松果体は網様体の近くにある)(質の科学では、霊魂はあってもなくても転生はありそうである、という証明のようなものをなした上で、霊魂はありそうだという証明のようなものもなしている)
なぜなら、たとえばコンピューターが、「我は考えている ゆえに 我あり」という情報処理を行っても、コンピューターには意識し味わう能力はないので、そういったことがあってもなんの意味もない、という立場が成り立つからである(もっとも、おもうという存在がある、ということは認められる。しかし、認める存在とは、意識し味わう存在である、という立場こそが最も強力な立場であると私は考える)
つまり、おもっても意識し味わわなければ、先に述べた観客のいない映画とまったく同じである、という立場が最優先されると私は考える


つまり、意識・心は、物質に優先する存在であるといえると思う
よって、意識・心は物質に依存せず、物質から独立しているところのレベルがより高い存在である可能性が高いという哲学的立場は成立する(哲学には証明と検証はいらない。説得力があればよい)

しかし実際のところ、現象的には意識・心は脳という物質の組織に依存しているように見える
しかし、詳しく研究していくと、物質の組合せである脳からは意識・心は生じないことの証明のようなものがなされ(前に記しました)、霊魂と呼ぶべき存在がありそうであることの証明のようなものもなされている(先に記しました)

上記からここまでの目的意識・テーマ感は、宇宙の存在目的、で、そのアプローチ法は哲学的なそれでした。



さて、意識・心とはどういった存在か
(仮説
このブログのいくつかに記したように、霊魂という存在があってその中での何らかのエネルギーの波動パターンの変化の中に、意識・心・味わい・質というものは存在する
(仮説
それについては、物質・エネルギーの存在について、根本的な説明ができないのと同じように、それ以上の説明はできないだろう
それ以上の説得性のある証明のようなものと解説を私は知らない



さて、人が何かを体験する(言動する、考える、感じる、などなど)と、その心的内容(=なんらかのエネルギー組織とその変化=なんらかのエネルギーの波動パターンとその変化)は意識の主体に送り込まれ、意識の主体がそれを意識し味わう
そのときに、それに応じた変化が意識の主体につく。なぜなら、すべての存在は、エネルギーを受けるとそれに応じた変化を受けるからである
その変化を「質時間」と名づける
「質」とは体験の質・味わいであり(方向性と濃度・密度の大小をもっている)、それを意識し味わった時間で積分したベクトルのようなものが質時間である(かんたんにいうと、体験の質×時間で方向性をもつもの。体験の質の濃度が時刻によって変動するので、積分する、となる。たとえば、車が時速60キロメーターで北に向かって一時間走ると、60×1(北→)で、北に60キロメーター移動することになる。実際には車の速さは定まっていず、変動しているから、おおざっぱに表現すると、時速58キロメーターで0,1秒、時速61キロメーターで0,04秒・・・・などとなっていくので、速さの変動に応じて速さに短い時間をかけてそれを足しあげていく、という計算方法をとる。それが積分という計算方法によるものである(速さ→速度というベクトル))
意識の主体にはそんなふうに変化がついていく
人が同じ体験をしつづけていくと同じ変化がその人の意識の主体につきつづけていき、その意識の主体は変化の限界に達して壊れてしまう
なぜなら、どんな存在も、変化が限度を越えると壊れるからである
たとえば、棒を曲げていくと、限界を越えると折れてしまうように

そこで、この世界には意識の主体を壊さないための仕組みがあるのである(これは仮説めいてきこえるが、現実の世界を観察していると、それは事実であるとほぼ検証できる
先に述べたように、この世界で最も大切なものは、意識・心であるとみなせるから、宇宙は意識の主体たちが壊れないように保護する仕組みを設けているのだろう
機械や電化製品などにもいろんな保護装置がついているくらいである
(物質によってできているものは、壊れても、物質の基本的粒子みたいなものやそのほかの存在に分解されるだけで、なくなるわけではない)

単純化して表現すると、そこにおいて、ある体験をしたら正反対の体験を同じ量体験すれば、意識の主体についた変化が元に戻って意識の主体は壊れない
その場合のそのたとえは、直径20キロメーターの土俵があって、その中心に立ち、北に10キロ進んで、それ以上北に行くと土俵から落ちてしまうが(土俵から落ちることは意識の主体が壊れることにあたる)、落ちる前に南に10キロメーター進めば、元の中心点に戻る、つまり変化が元に戻り、土俵から落ちることはない(つまり意識の主体が壊れることはないということに対応する)ということになる

(仮説
そういう仕組みがこの世界にはある
先に述べたように、現実の世界を観察していると、それは事実であると思えてくる
さらにたとえば、ことわざなどにも、それを裏づけるものが存在する
苦あれば楽あり楽あれば苦あり、人間万事塞翁が馬、

易経の教えにも、それと同等のものがある

さらに、正反対のことわざがあるということも、その正しさを裏づけている


そういった法則を、質時間回帰則、科学的カルマ、体験総量プラスマイナスゼロ化則、体験元戻り則、などと名づける

(仮説
それは、気圧の低いところには空気が流れ込んでくる、というモデルでの解説がわかりやすい


質の科学の発見に至った過程

自分とまったく同じ人が今存在したらどうなるか
→二重の意識状態になるが不思議ともなんとも感じない

→自分とまったく同じ意識をもつ人が存在すればそれと同じ結果になる

→意識はどこに存在するか?
→脳の中の小さな一部に存在するか霊魂と呼ばれる存在に存在する
→意識の部分がまったく同じ人が将来生まれてきたらそれは転生

任意の人の脳の中の意識の部分とまったく同じ意識の部分をもった人が生まれてくればそれは転生であるが、そういった意識の総数よりも生まれてくる人間の数の方がはるかに多い
→霊魂はなくても転生はある

霊魂があれば転生はある

→よって、霊魂はあってもなくても転生はある


→ある体験をしたら、それに応じた変化が意識の部分につく
→同じ体験をしつづけるとその変化が限界に達して意識の部分が壊れてしまう
→意識の部分を壊さないために、正反対の体験を同じ量体験しその変化は元に戻される、という仕組みがある
→つまりどの人もある体験をしたら将来必ずそれとは正反対の体験を同じ量体験することになる
→転生を通じてそうなっていく
→つまり転生を通じてすべての人は平等になっていく
→霊魂があってもなくてもそういう同じ結果になる


→体験・質には、ある性質のものがあれば、それとは正反対のものがある
→それらは対生成しているのだろう
なにもないところから質というベクトルのようなものは発生した
→正と反が対生成
→逆に正と反を足しあわせるとゼロのようなものに隠れる
→運動量保存則における運動量というベクトルの法則に似ている
→この世界の体験・質はプラスがあればマイナスも同じだけある



霊魂はあるか?

心的内容・意識の世界は波動性が最も高い世界である
→脳の中で最も波動性が高いのは電子
→脳の中の電子たちは一体性・全体性を形作れない
意識は一体性・全体性を形作っている
→脳という物質の組織に意識・心は生じない
→よって霊魂という存在があると推測される

さらに電子の波動性はまだまだ小さい
心的内容・意識の世界の波動性はそれより高い
→よって霊魂という存在があると推測される

加えて人は何かを決断するとき、決断したと思ったコンマ数秒前にすでに決断している、というおかしな実験結果がでている(脳波によってそういう結論がでる)
→霊魂があるとしないと説明がつかない

さらに人は、何かを体験したとき、それを意識しないでいることもできるし、コンマ数秒前に遡って意識することもできる、というおかしな実験結果がでている(脳波によってそういう結論がでる)
→霊魂があるとしないと説明がつかない

→霊魂はあるのだろう
(脳波の一部は脳と霊魂との間での情報のやりとりの際に発生するのかもしれない)



考えること、論理、などについて

考えている状態を意識の主体が意識し味わう(意識の主体には考える能力はないが)
そのとき意識の主体の中では、なんらかのエネルギーの波動パターンとその変化(時間経過による)が生じている
それを意識の主体は意識し味わっている
考えること・論理などは、その波動パターンの時間変化の中にある(仮説
そこを解明すれば思考・論理・人間の心のさまざまな働きがわかるだろう(仮説
(ただし、自由意志は数式では表せない)


ジグソーパズルでの説明
部分と全体との関係
部分と部分との関係
ピースの図柄と全体との関係
ピースの図柄と他のピースの図柄との関係
ピースの切断面の曲線と図柄の切断線との関係
色・色合いの関係

交響曲での説明
和音
リズム
和声
ハーモニー
不協和音
対位法
パートと全体の関係
調性

交響曲には時間変化がはいっているので、意識の主体におけるなんらかのエネルギーの波動パターンとその変化(時間経過による)の説明にうってつけに思える

ただし、ジグソーパズルでも、人が見る場合は時間的に走査して見るので、時間変化ははいってくる
その走査のやり方をどうするかという問題
その走査のやりかたによっていろんなことが変わってくる可能性が
(映像を電子映像機器で保存したり送ったりする場合など(フィルム式では一場面は一瞬一発で撮れる
(テレビなどでもいくつかの方式がある



人間の頭脳活動をパソコンでたとえる

意識は





(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)


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 宇宙人がでました(?)






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Last updated  2008.03.25 11:12:16
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